松江

最終更新日 2008年6月29日

中国地方に出張することが何回かあり、人口は少ないですが歴史がある山陰という地域には魅力を感じていました。

ということで、新年早々松江に週末旅行。本当は出雲大社に行ってみたくて、ついでに、というところだったのですが、松江は小さいですが宍道湖のほとりに佇むきれいな街で、新鮮な旅行でした。特に堀川巡りはおすすめです。

2008年1月12日(土) 松江

松江に到着

夕方の出発。ANA817で羽田空港を18:00に出発し、米子空港には19:20に到着。空港バスで松江駅まで行くと、もう真っ暗。夕食を食べていなくてお腹が空いたので駅前のダンキンドーナッツでドーナツを食べて夕食。予約してあったホテルまで歩いた。

松江は駅周辺の地域と、箸を渡った松江城や温泉がある地域に分かれていて、ホテルは温泉があるほうだったので、駅からは結構暗い街を歩いていくことになった。

ホテルはあらかじめ予約してあった松江ニューアーバンホテルという大きめのホテルで、団体客が多いようだった。部屋もビジネスホテル風で可もなく不可もなくという印象だったが、宍道湖が展望できる大浴場や、宍道湖が見下ろせる最上階の朝食はなかなか良かった。

2008年1月13日(日) 出雲と松江

一畑電車

松江から出雲に行くにはJRに乗っていっても良いのだが、宍道湖の南を通るJRとは反対に宍道湖の北を通る一畑電車というローカルな私鉄があって、せっかくなのでそれで行くことにした。出発駅も街の南にあるJRと違って、ホテル街に松江しんじ湖温泉駅という駅がある。

これ、思いっきりローカルな感じがする路線で、こんなところに私鉄があって大丈夫なのかなあ、という感じ。のんびりと各駅で止まって行って、出雲大社前駅に着く。この部分は支線になっている。

出雲大社

参道

出雲大社前駅は木造の家のような作りで、中には広い待合室がある。そこを出て、前の通りを上っていくと出雲大社の鳥居が見えてくる。鳥居で振り返ると上ってきた道が一直線に見える。

参道は結構長くて、ここまでくると観光客も多く、ぞろぞろと木々が立ち並ぶ道を歩いていく。

拝殿と本殿

山にぶつかろうかというところに建物がある。天気が悪かったが、うっすらともやがかかった山を背景に並ぶ神社はそれはそれで雰囲気が感じられる。

まず拝殿があり、ここで参拝。通常の神社では二礼二拍一礼だが、ここは説明が書いてあって、出雲大社では二礼四拍一礼で参拝しろ、と書いてある。古事記の世界でも、国譲りの記述があって、出雲には違う国があったことが伺えるから、宗教的にも異なったルーツがあったのかもしれない。

拝殿の前には昔の出雲大社の柱のモデルが置いてある。昔の文献には出雲大社はばかでかい建物だったという記述があるが、誇張してあるだけで、そんな訳ないでしょ、ということになっていたらしい。しかし、実際に3本の柱をまとめて1つの柱にした根本が見つかっていて、本当にあったのでは、といった話が出てきている。

拝殿を裏に回ると本殿がある。というか、本殿には入れないので門でお参りする。

出雲大社は、「いずもたいしゃ」と言ってしまうが、「いずもおおやしろ」が正式な名前らしい。また、縁結びで有名なのだそうだ。知らなかった。

おみくじを引いてみたら、絶好調の結果で、願望は叶い、結婚は良縁あり、病気は治り、失物は見つかり、売買は利あり、とのこと。ただし、旅行は遠くに行くな、と書いてあって、今年は南米はやめておこう、と思った。

神楽殿

さらに拝殿の左側のほうに歩いていくと、神楽殿というでかい建物がある。

大きなしめ縄があってすごいなあ、と見ていると、何かやっている人がいる。何だと思って見ていると、賽銭を下からしめ縄に向かって投げて、縄にはさまらせる、ということをやっている。その人だけかと思ったら、結構すでに硬貨が挟まっている。そんな習慣って始めて見ました。

神楽殿の前には大きな柱が立っていて、国旗が掲揚できるようになっている。

島根県立古代出雲歴史博物館

出雲大社を見終わるとますます天気が悪くなってきた。帰りは参道と並行して走る道に入って、島根県立古代出雲歴史博物館に行った。着いたときにはさらに天気が悪くなって大雨になった。

県立博物館というと地味な印象を受けるが、美術館のような結構しゃれた近代的な建物。この地域が何で昔から栄えていたのかとか、出雲大社がある位置の地形的な意味とか、伝承された巨大な本殿の模型などがおいてある。

見学して外に出ると、今度はヒョウが降ってきた。

松江の武家屋敷

再び一畑電車で松江に戻った。短期の旅行なのでなかなか忙しい。

夕方だったので時間ぎりぎりだったが、塩見縄手まで足を延ばした。ここが松江で一番行ってみたかったところ。クレジットカードの会員誌に特集されていて、それを見て今度は松江に行ってみようと思ったくらいなので。

塩見縄手というのは、松江城の北側の堀に面した武家屋敷街。きれいな景色で散歩に良いと思うのだが、天気が悪いし、結構車の通行量が多い(右の写真は翌日で天気がよい)。

秋田の角館と同じで、実際に住んでいる人がいるようなのですが、いくつかの建物は記念館や博物館になっている。1つは武家屋敷が公開されているもので、ここに住んでいた武士がどんな生活をしていたかを垣間見ることができる。生活をする部屋が裏側にあったり、忍者屋敷とは言わないが、なかなか考えられた作りになっていることがわかる。

塩見縄手には小泉八雲記念館と小泉八雲旧居も並んでいる。小泉八雲は日本に来て松江、熊本、神戸、東京といろいろなところに住んだが、松江では英語教師をしていたらしく、この土地がとても気に入っていたらしい。ただし、気候的には体に合わなかったらしい。小泉八雲記念館では彼の歴史がざっと追える。おすすめなのは小泉八雲旧居で、武家屋敷だったものだったらしいが、小さい家ながらも庭に囲まれていて、美しい住まいだった。

夕食はホテル近くの飲み屋というか料理屋で。あんまり国内では一人で飲んだりしないのだが、魚を頼みまくって結構飲んだ。ちなみに、松江には宍道湖七珍料理というものがあって、スズキ、モロゲ、ウナギ、アマサギ、シラウオ、コイ、シジミだそうだ。でも、旬がそれぞれあるので全部食べるというわけには行かないですが。

本当は宍道湖に沈む夕日を見たかったのだが、天気が悪くて見られなかった。残念。その代わり、ホテルの大浴場で宍道湖の景色を見た。

2008年1月14日(月) 松江と境港

堀川巡り

旅行最後の日だが、飛行機が午後なので、がんばって朝から観光。

ホテルをチェックアウトして、松江城のほうに歩いて、堀川巡りの船の乗り場まで行った。これに乗らないと、せっかく松江まで来た意味は無いと思ったので、まずは脇目もふらずにここに来た。幸いにして天気は昨日よりは良かった。

松江城の周りの堀をぐるっと一回りするのだが、乗り場は2か所ある。大手前広場の乗り場から乗ったが、15〜20分間隔で結構頻繁に出ている。ちょうど船の時間だったようで、乗り込んですぐに出発。他の乗客も乗ってきて満席。というか小さな船なので、船頭さんの指示に従って左右にバランス良く乗る。冬期はこたつがのっているので、それを挟んで両側に座る形になる。

船頭さんは年配の男性だが、居酒屋の親父をやっている人らしく、話が上手だった。何でもテストがあるらしい。

この堀川巡りは行政にいたアイデアマンが始めたものらしく、各地の城にも堀はあるが、埋め立てられていたりするが、松江の場合はぐるっと埋め立てられずにあることに着目したらしい。

出発してしばらくは木々が並ぶ城の周りで、武家屋敷がある塩見縄手のあたりを通っていくので風光明媚、という景色が続く。

船頭さんの話では、海外からのお客さんも結構多いらしい。それも、台湾とか韓国とかアジアのお客さんが多いらしい。ただし、韓国のお客さんは、竹島の日騒動以来、減ってしまったそうだが。

塩見縄手を過ぎると堀はやや狭くなって、上水というか川を探検しているような雰囲気になってくる。

堀にはところどころ橋が架かっているので、それをくぐっていくわけだが、中にはとても低い橋がある。これは、最初からこういう観光をやることを想定して橋を造っているわけではないので仕方ないのだが、一部の橋は低い上に配管が出っ張っていたりする。船には屋根があるのだが、そこを通るときにはその屋根をぎりぎりまで下げ、乗客はちょうどこたつに突っ伏して静止をした状態でくぐる。船頭さんが頭をぶつけてしまった事故もあったらしい。写真はちょうど低い橋を通り抜けたところ。

木々が並ぶ静かなあたりを通るだけではなく、街中も通る。普通に両側に道があって、川下りをしているようなところもあれば、両側に家や庭が迫っていて、家の中がのぞけてしまうようなところも通る。これは当然、いろいろな意見があったらしいのだが、今では窓に人形を並べたり、庭に置物を置いたりして、民家のほうでも通り過ぎる船を肯定的にとらえているようだ。

最後にまた松江城が見える堀に出てきて、最初に乗った乗り場まで戻って終了。

松江城

堀川巡りの後は松江城。別名は千鳥上というそうだ。

天守閣を一番上まで登ると、松江の街が一望できる。宍道湖が見える。

また、堀を進む堀川巡りの船も見える。

松江城を見た後は入ったときとは逆の塩見縄手のほうに降りた。ちょうど昼時だったので、ガイドブックにも載っていた「出雲そば処八雲庵」というそば屋でお昼を食べたが、これはかなりおすすめ。割子そばといって、薬味がのったそばに汁をかけて食べる。東京で鰹節だしのそばに慣れている私ですが、こういう違った味のそばもかなり好きです。

松江の主要な観光地を回る「ぐるっと松江レイクライン」という観光バスが走っているので、それに乗って、JRの松江駅まで戻った。

境港

飛行機は午後なので、もう1つ欲張って、米子空港の近くである境港にも足を延ばした。

カニの街とか、北朝鮮との貿易とか、想像がいろいろふくらむ街ですが、ゲゲゲの鬼太郎の作者である水木しげるの出身地としても有名です。

JRの松江駅から特急に乗って米子駅まで。ここは前にも出張で来たことがあるところです。この米子駅から、境線というのに乗るのだが、これは鬼太郎列車と呼ばれている。

列車だけでなく、境港駅に着くと、駅も鬼太郎一色になっていて、テーマパークに行くような雰囲気になっている。

結構観光客が多くて、子供連れなどで賑わっている。

水木しげるロードと命名された道(普通の道)が一直線に走っているので、それを歩く。観光地としては本当にこれくらいしかないようだが、歩いていくと商店街に入り、それぞれの店が鬼太郎にちなんだデコレーションだったり、雰囲気を出すように工夫している。たとえば、パン屋なら鬼太郎パンを売る、といった感じ。非常に素朴なのだが、それがかえっていやらしくなくて、イイ感じ。

もう一つの特徴は、というかそれが由来なのだが、道の両側にゲゲゲの鬼太郎に関連した妖怪の像が並んでいる。それだけですが。

一反木綿とか人気がある像はそれなりに人が集まりますが、やはり鬼太郎のところは写真を撮っている人も多いです。

この像、よく見るとそれぞれに会社や人の名前が入っていたりします。どうやら、行政なりがばっと整備してしまったというのではなく、1つ1つにスポンサーがいるようです。こういった街ぐるみというのも良いなあ、と思いました。小さな港町にこれで人が集められるのですから。

また、2次元バーコードが張ってあって、これを使って携帯電話でアクセスすると、その妖怪の説明ページにつながります。

点字の説明がついていたりするのも、細かいところまで気を遣っていていいなあ、と思いました。

水木しげるロードは、最後に水木しげる記念館があって終わります。ここも混んでいた。

交通の不便な田舎なのに、一人の漫画家の出身地だと言うだけで、それをテーマに観光の振興を図っているところは感心しました。駅から1kmほど離れたところに水木しげる記念館を配置し、そこまでの商店街を「水木しげるロード」としてキャラクターを与えるという方法です。もう少し温泉とか観光資源があると、一泊する需要があると思うんですけどね。

さて、境港駅まで戻り、水木しげるロードと反対側に出てみると、港があります。人は少ないですが。ちょうど境港は中海と外海がつながっている海峡のようなところに位置していて、海と言うよりも山が迫った水路のような感じです。

境港からタクシーで米子空港まで行き、ANA818で米子空港を15:45に出発し、羽田空港に17:00に到着。短期ですが、なかなか楽しい国内旅行でした。

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