このサイトと著者について

最終更新日 2017年1月2日

このサイトは、高谷 徹(47歳、独身、♂、東京都武蔵野市)が個人的に作成したものです。

万が一、読んで役に立ったり、面白かったり、あるいは間違いや無効なリンクがあった場合はメール下さい。また、リンクをはることはWWWである以上自由ですが、連絡を頂けるととてもうれしいです。

著者の自己紹介

履歴書などでは書くことが決まっていますが、Webサイトでの自己紹介はどんな事を書くべきで、どんなことを書かないべきなのでしょう?

ただ、こうして少しづつ自己紹介をまとめておくと、毎回説明が不要で効率的かつ便利かもしれない。

氏名

高谷 徹。「たかや とおる」と読む。

名字は「たかたに」ではなく、「たかや」と読むところが肝要なところ。珍しいようだが、関西には比較的いるようだ。三文判のはんこには、最近「高谷」というものがあることが多いが、「たかたに」と呼ばれる人が結構いるらしい。親戚ではなく、名字が同じ人には、電話帳やマスコミなどでは見るものの、実物にはあったことがない。ただし、1回だけ、以前住んでいた横浜市緑区の区役所で、「たかやさん!」と呼ばれて自分ではなかったことがある。後で近くに親戚がいることがわかりましたが・・・。

名前は「とおる」と読む。これはいっぱいいる。命名の由来は、両親に何度聞いても要領を得ないため、高尚な理由はなく、何となくと思われる。

大きさ

2013年12月28日現在、身長177cm、体重72.0kg、体脂肪率18.6%。ダイエットしたけどリバウンドしてきた。

住んでいるところ

東京都武蔵野市吉祥寺駅より徒歩12分の賃貸マンションに単身で住む。以前はもっと駅に近いところに住んでいたが、あまりにも狭いので引っ越した。部屋は広くなったが、駅からはちょっと遠くなってしまった。

吉祥寺は生まれ育った街で、いろいろ引っ越しつつも、ずっとこのあたりに住んでいる。

仕事

説明しがたい。人に頼まれて、調べたり考えたりして、報告書を書く会社に勤めている。生活が不規則になりがちで、締め切りに追われ、寝言でも「間に合わない!」と叫んだりすることもあったらしく、妹には、「お兄ちゃんみたいな仕事にはつきたくない。」と言われている。

高谷家の歴史概要

判明しているのは以下の通り。

妹がいますが、祖父祖母、両親は既に亡くなっています。父方のルーツは滋賀、母方のルーツは長野です。

田中清玄銃撃事件は祖父の高谷覚蔵の出版記念パーティーから田中清玄が帰る際に起こったものです。また、内掌典だった高谷朝子は祖父の高谷覚蔵の兄の娘、つまり、父の高谷巖のいとこに当たります。

出来事
1859年(安政6年)5月1日 高谷宗兵衛、さち?(1832年12月28日-1901年3月7日)の長男として、曾祖父の高谷宗七(1859年5月1日-1915年2月23日)、大津に生まれる。
1899年(明治32年)1月1日 高谷宗七、その(1866年10月7日-1941年4月8日)の三男として、祖父の高谷覚蔵(1899年1月1日-1971年3月20日)、大津に生まれる。
1913年(大正2年)3月26日 椎谷明治郎、たけのの四女として、祖母の椎谷壽美子(1913年3月26日-2004年2月2日)、山形県に生まれる。
1922年(大正11年)秋 祖父の高谷覚蔵、渡米してニューヨークへ。
1923年(大正12年)十月末 祖父の高谷覚蔵、入露、モスクワへ。
1934年(昭和9年) 祖父の高谷覚蔵、帰国。
1941年(昭和16年)3月10日 高谷覚蔵、壽美子の長男として、父の高谷巖(1941年3月10日-2005年7月9日)、大津に生まれる。
1942年(昭和17年)6月4日 竹内幸好、小晴の五女として、母の竹内利子(1942年6月4日-2007年4月15日)、長野に生まれる。
戦後 高谷覚蔵一家、大連から引き上げて大津に。さらに、武蔵野市に転居。
1969年(昭和44年)1月23日 高谷巖、利子の長男として、高谷徹(つまり私)、東京に生まれる。
1971年(昭和46年)3月20日 祖父の高谷覚蔵、新宿区厚生年金病院に於いて肝臓ガンにて72歳で逝去。
1970年11月30日発病、12月3日入院、12月24日第1回手術、1971年3月2日第2回手術。
2004年(平成16年)2月2日 祖母の壽美子、西東京市緑寿園に於いて老衰にて90歳で逝去。
2005年(平成17年)7月9日19:26 父の高谷巖、清瀬市東京病院に於いて食道ガン、結核にて64歳で逝去
2004年3月に定期検診で食道ガン発見、直ちに東京大学付属病院入院して手術、6月に退院。2006年2月に再発(転移)で東京大学付属病院に入院、4月に退院、5月に結核が発覚して東京病院に入院。
2007年(平成19年)4月15日9:13 母の高谷利子、武蔵野赤十字病院に於いて64歳で逝去
前日の夜に、自宅近くで倒れているのを通行人に発見され、通行人に発見されて病院に運ばれたが心肺停止状態、病院で蘇生したが、意識は戻らず、翌朝に亡くなった。心臓が悪かったから、帰る途中で苦しくなって倒れてしまったのだと思う。

高谷徹の履歴

生まれ(1969/1/23)

東京で、高谷家の嫡男として生まれた。記録的な大雪だったらしい。学生運動甚だしく、東大の入試がなかった年。

幼少時代(1969〜1975)

わが国は、オイルショックを経験し、安定成長へと移行していった時代。母親に連れられて、トイレットペーパーを買いに行ったらしいが、よく覚えていない。

東京都武蔵野市で過ごした。相当に変わっていたらしい。

大人の中でしか過ごしたことがなかったこともあって、幼稚園に入ったものの、全くついていけなかった。片づけ、食事、何をとっても異常に遅くて、問題となった。知能テストを行ったところ、知能指数が低く、幼稚園から暗に退園をほのめかされたという噂もある。

「幼稚園にして、お先真っ暗だった。」(母親談)

絵を描かせると、線だけを書いて、ねぎだと主張し、粘土をやらせると、ふたを開けたところにヘラを刺して立て、船と主張、それ以上の発展が見られなかったらしい。

また、あまり周囲には知られていないことだが、幼少時代は左利きであり、この時期までに覚えた習慣には左手のものが多い。例えば、未だに歯ブラシは左手でないとうまく使えない。箸は左右どちらでも使えるが、それは誰でもそうでしょうか?ちなみに、母方は左利きが多いらしい。

小学生時代(1975〜1981)

武蔵野市立第四小学校に通う。小学生2年のときに転校しているが、武蔵野市内の武蔵野市立第一小学校である。付け加えれば、小学校5年生くらいのときにも引っ越しているが、そのときに至っては、マンションの中での引越しなのであった。

小学校の時に、一度失神なるものを経験した。その頃は、アパートの2階に住んでいたが、階段を駆け降りている途中で転び、階段の下のたたきに頭を打ち付けた。一度立ち上った記憶があるが、そのまま気が遠くなった。夕方に病院で気がつき、「ここはどこ?」と余りにもありがちな言葉を吐いてしまった。脳波に異常があるということで一週間入院。そのうち、3日くらいは絶対安静でベッドから立つことを禁じられた。驚くことに3日寝たきりなだけで、立ち上ると立ち眩みがして気持ち悪くなるようになってしまう。高齢者が一度怪我をすると寝たきりになってしまうというのは、そういうことなのだろう。

小学校時代は大変に体が小さかった。卒業時点でも、身長は140cmちょっと、体重も30kgを割り込んでいた。また、永久歯に生え変わったところひどい出っ歯となり、ビーバーと呼ばれていた。

小学校四年生の文集には、大きくなったら科学者になりたいと書いてある。しかし大人になって考えると、そもそも「科学者」なる職業の人ってどんな人でしょう?

中学生時代(1981〜1984)

武蔵野市立第一中学校に進学。制服なるものを経験したのは、これが最初で最後。仲の良い友人が入ったという理由で、軟式テニス部に所属。

この時期に歯列矯正を行い、声変わりもし、身長も卒業時に165cmに達したため、入学時と卒業時では顔つきも大きさも全くの別人となってしまった。

高校生時代(1984〜1987)

円高不況が日本を襲った時代。

市内にある東京都立武蔵高校に進学。自転車通学。学園紛争の時代のなごりで、私服であり、とても自由な高校だった。

大学生時代(1987〜1991)

わが国はバブル景気に浮かれていた時代。

どうせ浪人だからと、一つだけ受けた東京工業大学にまぐれ受かり。はじめての電車通学となる。

球技の才能に限界を感じていたので、合氣道部に入部。おかげでとても楽しく過ごすことが出来た。

ちなみに、大学時代の専門は、セラミクスであった。ちなみに、卒業論文のタイトルは、「CaO添加AlN焼結体中の粒界層の移動」であった。これを書こうとしたら、「焼結」も「粒界」も変換できなかった。なんということだ!

大学院生時代(1991〜1993)

バブルがはじけてしまったのではないか、という意識が徐々にひろがりはじめた時代。

惰性で大学院に進学(進学率が9割以上という学科であった)。

大学院は神奈川にあったため、初めてアパートを借りて一人暮らし。これがかなり年季の入った木造アパートで、最初の半年は「昆虫」との戦いに明け暮れた。膨大な時間と化学物質の投入により、絶滅に成功。ただ、エアコンもなく、となりの声も筒抜けであった。また、駅近くには本屋やCDショップすらないという場所であった。この経験から、就職したら絶対に、本屋とCDショップが近くにある、鉄筋コンクリートでエアコン付きの家に住もうと決意。

修士論文のタイトルは、「SiCウィスカー強化セラミックスの亀裂の観察」であった。

おじさん時代(1993〜)

就職活動もだんだん厳しくなる気配が出始めた時期。

就職活動を行い、いくつかの内定を頂いた。田舎暮らしはもういやだったので、勤務地が大手町で、始業時間が一番遅い会社を選択、現在に至る。

最初は再び、武蔵野市内の実家から通っていたが、1997年、28歳にして、一人暮らしスタート。現在に至る。

2001年

私的な旅行1回、出張2回と3回も海外に行ってしまった。NYのテロはスペインのRondaという街で知った。京都での生活が終わり、東京での暮らしに戻ってきた。

2002年

ワールドカップがあった年。スロベニア、クロアチア、イタリアに旅行。英語学校に通い始める。

2003年

世の中ではイラク戦争があり、衆議院選挙があった年。

8月末から9月には、両親と妹を引き連れ、2週間の大ヨーロッパ旅行を敢行。

6年住んだワンルームマンションから10月24日に引越。吉祥寺駅から7分だったのが12分になってしまったが、1Kから2DKになって、居住性アップ。

仕事の面では、またまた大型プロジェクトに参加。

2004年

アテネオリンピックが開催され、ブッシュ大統領が再選を果たし、年末にはインド洋で大地震と津波が起きた年。日本でも台風の他に新潟では中越地震、新札も発行された。

2月に祖母が亡くなったり、3月から父がガンで半年近く入院したり、妹が出産したり、いろいろあった一年だった。

いつも9月に行く海外旅行は南米に行ったが、忙しいために10月になってしまい、出発も遅れて大変だった。

久しぶりに魚釣りを趣味として復活。

2005年

都議選があったほか、衆議院選挙があり、小泉自民党圧勝。JR西日本の福知山線が脱線。ロンドンで同時多発テロが起きた。国勢調査が実施された。日本の人口は減少へ。

年始から父のガンが再発し、入院。抗ガン剤の効果が無く、退院したが、結核で再度入院し、7月9日に死去。

魚釣りには行ったが、今年は就職してから、初めて海外旅行に全く行かなかったし、合気道の稽古も休んでいて、1回も道着を着なかった。

ドメインtakayas.jpを取得し、サイトを移行。blogを開始し、mixiに入った。世の中では、blog、SNS、iPodが大流行。

仕事の面では、大きな仕事を引き続き。忙しいばかりで、質が高い仕事ができたかな、と少し反省。

2006年

イスラエルがレバノンを空襲し、タイでクーデター。北朝鮮が核実験。ワールドカップがあり、小泉首相が引退して安部首相になった。飲酒運転といじめが問題になった年だった。

ゴールデンウィークにゴールドコースト、7月に台湾に短期の旅行に行ったが、長期海外旅行はこの年も行けず。夏は知床にも行った。

夏から秋にかけてとても忙しく、ほとんど休めなかったが、夏の研修で心を入れ替えて、やや朝型の生活に改善した。12月は国内出張ばかりだった。

家のインターネット接続を光ファイバーにした。

いろいろなことに受動的に過ごしてしまったが、自分が何をやりたいのか、したいのかをもっと明確にしなければならないとつくづく感じた年だった。

2007年

なんと言っても大事件は母の逝去。

春に母が亡くなってから、夏は参議院選挙があって、安部首相が突然退陣、世の中は偽装が相次ぐ。

それ以外は普通の年だった。夏休みはアイルランドに旅行し、秋にはタイ・マレーシアに旅行した。

車はLEGACY Touring Wagon 2.0i B-SPORTに買い換え。

2008年

夏には北京オリンピック。サブプライム問題に端を発した経済危機が本格化し、世界的な景気後退。アメリカ大統領選はヒラリー、マケインを破ってオバマ氏が当選。

福田首相が「あなたとは違うんです。」と言って引退し、麻生首相になった。

昨年秋からのNHK朝ドラ「ちりとてちん」にはまって毎日号泣。

お正月は香港に旅行し、ゴールデンウィークにはメキシコに旅行し、秋には久しぶりにアメリカに出張した。

週末は釣りも少々。天然湖への釣行が多かった。

仕事の面では、大きな2つの仕事にかかりきりになってしまったが、それぞれ勉強になる仕事だった。

「不惑」を前にした一年だが、人生って難しいと改めて感じた。

2009年

オバマ大統領就任。日本でも夏の衆議院選挙で民主党圧勝、麻生政権に変わって鳩山政権誕生。事業仕分けをしたものの大幅な国債発行。

新型インフルエンザH1N1が発生し、街にはマスクをした人があふれた。幸いにしてたいしたことなかったけど。

春に放送大学に入学して見た。秋にtwitterを始めて見た。

ゴールデンウィークにはトルコ、6月には広州、夏休みにはウクライナに旅行した。

不惑になったのに、迷ったり戸惑ったりすることが多い一年だった。充実した一年と言えるかは分からないけど、とても大切な一年だったと思う。

仕事の面ではやはり経済状況を受けて厳しい状況。できることを久しぶりにいろいろ手を広げた。

2010年

鳩山首相から管首相に。

ゴールデンウィークにはキプロス・ギリシャ、6月にはウズベキスタン、夏休みにはロシアに旅行した。

会社は引っ越し、仕事も大変になった。

2011年

管首相から野田首相に。今年は何と言っても、東日本大震災。

ゴールデンウィークにはインド、6月には函館、7月にはハルピン、8月にはアイスランド、9月には北京、12月には南三陸町に旅行した。

仕事も個人的にも大変できつかった。厄年というのはあるんだな、という感じ。4月に足の裏にイボが発見され、毎週のように液体窒素で治療(通称:根性焼き)。

2012年

野田首相から安倍首相に。アメリカでもオバマ再選、ロシアは再びプーチン、フランスはサルコジからオランド、中国は胡錦濤から習近平、韓国は李明博から朴槿恵へ。

ゴールデンウィークには南米のボリビアとペルー、8月には青森と大連、12月には南三陸町に旅行した。

パソコンを買い換えてようやくWindows7にし、Kindleを購入して電子書籍デビュー。テレビもブラウン管から大型液晶テレビに。

入院して手術をしたり、右足のアキレス腱が痛かったり、近くが見にくくなったり、健康というものについて考えさせられる一年だった。

停滞という言葉があてはまる一年だった。後ろを向かずに何か前向きなことを始めなければと思った。

2013年

安倍首相になって株式市場高騰。韓国では朴大統領、イランではロウハニ大統領、シリアでは内戦悪化、エジプトではモルシ政権がクーデターで倒れる。富士山が世界遺産になり、2020年の東京オリンピックが決まった。

1月に平戸・長崎に旅行したが、爆弾低気圧による大雪で一日帰りが遅くなる羽目に。ゴールデンウィークにはイスラエル旅行し、夏休みにはベトナム旅行し、8-9月には徳島旅行に行ったが、また台風で大変だった。9月には上海旅行した。東北は宿が埋まっていたりして行けなかった。

携帯電話が再び壊れたため、ついにAndroidのスマートフォンに機種変更。旅行も便利になった。年末にはRoombaも購入。

SNSが急速に普及したことによって、一年間中学校や高校の友達と飲むことも増えた。

健康診断で非難されたこともあり、ダイエットを敢行。泳いで走って、食事制限して、76kg超から夏休み明けには71kg程度まで絞ったが停滞期で終了。しかし、秋の特定保健指導では「現状維持」を目標として指示された。

仕事では勤続20年。きゃりーぱみゅぱみゅが生まれた年の入社とのこと。そして、自身では過去最大の仕事をやる羽目に。まあ、忙しくはなりますね。

2014年

ロシアがウクライナのクリミア半島を併合、イスラム国が領域を拡大し、西アフリカではエボラ出血熱が流行。日本ではSTAP細胞騒動、御嶽山が噴火、そして12月に衆議院選挙で自民党圧勝。

5月の連休にウラジオストク、ハバロフスク、8月には東トルキスタンに旅行したが、それ以外は放送大学の履修を控えて国内旅行に邁進。1月の大分に始まり、7月の福井嶺北、9月の釜石・気仙沼・平泉、久慈、10月の札幌・釧路、近江八幡、11月の岡山兵庫京都、秋田庄内と行きまくった。

仕事の面では巨大プロジェクトが尾を引いて前半はきつかったが・・・後半もきつくなった。

引き続き、中学校や高校の同級生に会う機会も多く、自分の人生について考えさせられる。

そこそこ健康だったが、近くが見にくい・・・。困った。

2015年

安保法案を巡ってデモが行われたりして、その割には安全保障議論は深まらなかった。イスラム国がついに域外であるパリでテロ。

1月には広島、5月の連休にはイラン、7月には鹿児島・知覧、8月の夏休みには河西回廊、9月のシルバーウィークには河西回廊、10-11月には京都奈良に行って、11月には山形石巻旅行。まあ、こんなもんですかね。

放送大学で日本美術史を履修したのをきっかけに、日本美術に開眼。旅行先や休日に美術館などに足を運ぶ趣味を持ってしまった。ますます一人遊びが上手に・・・。

2016年

パリとニースでテロ、バングラディシュのテロでは日本の方も亡くなり、トルコではクーデター。Post Truthという言葉があるそうだ。

イギリスのEU離脱が決まり、アメリカではトランプが大統領選で当選。

夏学期の履修登録を忘れてしまったために夏学期は面接授業のみ。

6月にスマートフォンをXperia Performanceに機種変更。

車はLEGACY Touring Wagon 2.0i B-SPORTをLEVORG 1.6GT EyeSightに買い換え。

1月には宮崎大分、4月には対馬。ゴールデンウィークには旧ユーゴスラビア、6月にはアンコールワット、7月には新潟、8月にはイギリス、9月にはタンザニアに旅行、10月には津和野・山口、12月には合掌造りと高岡。良く旅行しました。

仕事の量はセーブされてきましたが、その時間をどう過ごすか。人との出会い、別れ。人生は続いていきます。

このサイトの作成及び運営方針

自ら課しているルールを忘れないように書いておかなくては!

用語の定義

言葉は丁寧に使うこと。日経新聞のように何でも「ホームページ」と呼んだりしないこと。

掲載内容

人が読みたいことより、自分が書きたいこと。自己満足型。

ページ作成

HTML4.01とCSSに従って、Editorで作成する。オーサリングツールはきちんとしたHTMLを生成しないので、使わない。

むやみに画像を使ったり、デザインに凝ったりするのではなく、機能的で読みやすいレイアウトを追求した上で、情報の内容で勝負する。フレームは嫌いなので使わない。

「IE5.0以上でお読み下さい。」などということは間違っても書かない。出来るだけ多くの人が見られるように考えて書く。ただ、実際問題として全てのブラウザでチェックするのは難しいので、自分の環境のみでチェックし、見にくいという意見があったら直すというスタンスをとる。

更新

気が向いたときに。

リンクの扱い

高谷 徹 Web Site!からリンクしているサイトは、以下のような観点で選択しています。

このサイトへリンクされる方へ

リンクはご自由にどうぞ。

Top Page以外のページは、URIが変更されたり、削除されたりする場合があります。

このサイトの著作権

このサイトのページは、高谷徹が著作権を持っています。

このページに関するご要望は高谷 徹(toru@takayas.jp)まで

Valid HTML 4.01!このページはHTML4.01に準拠して作成されています。

MADE WITH CASCADING STYLE SHEETSこのページはCSSを利用して作成されています。