このサイトと著者について

最終更新日 2024年1月2日

このサイトは、高谷 徹(54歳、独身、♂、東京都武蔵野市)が個人的に作成したものです。

万が一、読んで役に立ったり、面白かったり、あるいは間違いや無効なリンクがあった場合はメール下さい。また、リンクをはることはWWWである以上自由ですが、連絡を頂けるととてもうれしいです。

著者の自己紹介

履歴書などでは書くことが決まっていますが、Webサイトでの自己紹介はどんな事を書くべきで、どんなことを書かないべきなのでしょう?

ただ、こうして少しづつ自己紹介をまとめておくと、毎回説明が不要で効率的かつ便利かもしれない。

氏名

高谷 徹。「たかや とおる」と読む。

名字は「たかたに」ではなく、「たかや」と読むところが肝要なところ。珍しいようだが、関西には比較的いるようだ。三文判のはんこには、最近「高谷」というものがあることが多いが、「たかたに」と呼ばれる人が結構いるらしい。親戚ではなく、名字が同じ人には、電話帳やマスコミなどでは見るものの、実物にはあったことがない。ただし、1回だけ、以前住んでいた横浜市緑区の区役所で、「たかやさん!」と呼ばれて自分ではなかったことがある。後で近くに親戚がいることがわかりましたが・・・。

名前は「とおる」と読む。これはいっぱいいる。命名の由来は、両親に何度聞いても要領を得ないため、高尚な理由はなく、何となくと思われる。

大きさ

2013年12月28日現在、身長177cm、体重72.0kg、体脂肪率18.6%。ダイエットしたけどリバウンドしてきた。

2023年には一時80kg突破。まずいです。

住んでいるところ

東京都武蔵野市吉祥寺駅より徒歩13分の賃貸マンションに単身で住む。2019年10月21日に引っ越し、広さが1.5倍になった。人生で引越は恐らく9回、実家に戻ったりしているので済んだのは9か所。そのうち武蔵野市内が7か所で、それ以外は幼少の時の川崎市と大学院時代の横浜市。

吉祥寺は生まれ育った街で、いろいろ引っ越しつつも、ずっとこのあたりに住んでいる。

仕事

説明しがたい。人に頼まれて、調べたり考えたりして、報告書を書く会社に勤めている。生活が不規則になりがちで、締め切りに追われ、寝言でも「間に合わない!」と叫んだりすることもあったらしく、妹には、「お兄ちゃんみたいな仕事にはつきたくない。」と言われている。

高谷家の歴史概要

判明しているのは以下の通り。

妹がいますが、祖父祖母、両親は既に亡くなっています。父方のルーツは滋賀、母方のルーツは長野です。

田中清玄銃撃事件は祖父の高谷覚蔵の出版記念パーティーから田中清玄が帰る際に起こったものです。また、内掌典だった高谷朝子は祖父の高谷覚蔵の兄の娘、つまり、父の高谷巖のいとこに当たります。

出来事
1859年(安政6年)5月1日 高谷宗兵衛、さち?(1832年12月28日-1901年3月7日)の長男として、曾祖父の高谷宗七(1859年5月1日-1915年2月23日)、大津に生まれる。
1899年(明治32年)1月1日 高谷宗七、その(1866年10月7日-1941年4月8日)の三男として、祖父の高谷覚蔵(1899年1月1日-1971年3月20日)、大津に生まれる。
1913年(大正2年)3月26日 椎谷明治郎、たけのの四女として、祖母の椎谷壽美子(1913年3月26日-2004年2月2日)、山形県に生まれる。
1922年(大正11年)秋 祖父の高谷覚蔵、渡米してニューヨークへ。
1923年(大正12年)十月末 祖父の高谷覚蔵、入露、モスクワへ。
1934年(昭和9年) 祖父の高谷覚蔵、帰国。
1941年(昭和16年)3月10日 高谷覚蔵、壽美子の長男として、父の高谷巖(1941年3月10日-2005年7月9日)、大津に生まれる。
1942年(昭和17年)6月4日 竹内幸好、小晴の五女として、母の竹内利子(1942年6月4日-2007年4月15日)、長野に生まれる。
戦後 高谷覚蔵一家、大連から引き上げて大津に。さらに、武蔵野市に転居。
1969年(昭和44年)1月23日 高谷巖、利子の長男として、高谷徹(つまり私)、東京に生まれる。
1971年(昭和46年)3月20日 祖父の高谷覚蔵、新宿区厚生年金病院に於いて肝臓ガンにて72歳で逝去。
1970年11月30日発病、12月3日入院、12月24日第1回手術、1971年3月2日第2回手術。
2004年(平成16年)2月2日 祖母の壽美子、西東京市緑寿園に於いて老衰にて90歳で逝去。
2005年(平成17年)7月9日19:26 父の高谷巖、清瀬市東京病院に於いて食道ガン、結核にて64歳で逝去
2004年3月に定期検診で食道ガン発見、直ちに東京大学付属病院入院して手術、6月に退院。2006年2月に再発(転移)で東京大学付属病院に入院、4月に退院、5月に結核が発覚して東京病院に入院。
2007年(平成19年)4月15日9:13 母の高谷利子、武蔵野赤十字病院に於いて64歳で逝去
前日の夜に、自宅近くで倒れているのを通行人に発見され、通行人に発見されて病院に運ばれたが心肺停止状態、病院で蘇生したが、意識は戻らず、翌朝に亡くなった。心臓が悪かったから、帰る途中で苦しくなって倒れてしまったのだと思う。

高谷徹の履歴

生まれ(1969/1/23)

東京で、高谷家の嫡男として生まれた。記録的な大雪だったらしい。学生運動甚だしく、東大の入試がなかった年。

幼少時代(1969~1975)

わが国は、オイルショックを経験し、安定成長へと移行していった時代。母親に連れられて、トイレットペーパーを買いに行ったらしいが、よく覚えていない。

東京都武蔵野市で過ごした。相当に変わっていたらしい。

大人の中でしか過ごしたことがなかったこともあって、幼稚園に入ったものの、全くついていけなかった。片づけ、食事、何をとっても異常に遅くて、問題となった。知能テストを行ったところ、知能指数が低く、幼稚園から暗に退園をほのめかされたという噂もある。

「幼稚園にして、お先真っ暗だった。」(母親談)

絵を描かせると、線だけを書いて、ねぎだと主張し、粘土をやらせると、ふたを開けたところにヘラを刺して立て、船と主張、それ以上の発展が見られなかったらしい。

また、あまり周囲には知られていないことだが、幼少時代は左利きであり、この時期までに覚えた習慣には左手のものが多い。例えば、未だに歯ブラシは左手でないとうまく使えない。箸は左右どちらでも使えるが、それは誰でもそうでしょうか?ちなみに、母方は左利きが多いらしい。

小学生時代(1975~1981)

武蔵野市立第四小学校に通う。小学生2年のときに転校しているが、武蔵野市内の武蔵野市立第一小学校である。付け加えれば、小学校5年生くらいのときにも引っ越しているが、そのときに至っては、マンションの中での引越しなのであった。

小学校の時に、一度失神なるものを経験した。その頃は、アパートの2階に住んでいたが、階段を駆け降りている途中で転び、階段の下のたたきに頭を打ち付けた。一度立ち上った記憶があるが、そのまま気が遠くなった。夕方に病院で気がつき、「ここはどこ?」と余りにもありがちな言葉を吐いてしまった。脳波に異常があるということで一週間入院。そのうち、3日くらいは絶対安静でベッドから立つことを禁じられた。驚くことに3日寝たきりなだけで、立ち上ると立ち眩みがして気持ち悪くなるようになってしまう。高齢者が一度怪我をすると寝たきりになってしまうというのは、そういうことなのだろう。

小学校時代は大変に体が小さかった。卒業時点でも、身長は140cmちょっと、体重も30kgを割り込んでいた。また、永久歯に生え変わったところひどい出っ歯となり、ビーバーと呼ばれていた。

小学校四年生の文集には、大きくなったら科学者になりたいと書いてある。しかし大人になって考えると、そもそも「科学者」なる職業の人ってどんな人でしょう?

中学生時代(1981~1984)

武蔵野市立第一中学校に進学。制服なるものを経験したのは、これが最初で最後。仲の良い友人が入ったという理由で、軟式テニス部に所属。

この時期に歯列矯正を行い、声変わりもし、身長も卒業時に165cmに達したため、入学時と卒業時では顔つきも大きさも全くの別人となってしまった。

高校生時代(1984~1987)

円高不況が日本を襲った時代。

市内にある東京都立武蔵高校に進学。自転車通学。学園紛争の時代のなごりで、私服であり、とても自由な高校だった。

大学生時代(1987~1991)

わが国はバブル景気に浮かれていた時代。

どうせ浪人だからと、一つだけ受けた東京工業大学にまぐれ受かり。はじめての電車通学となる。

球技の才能に限界を感じていたので、合氣道部に入部。おかげでとても楽しく過ごすことが出来た。

ちなみに、大学時代の専門は、セラミクスであった。ちなみに、卒業論文のタイトルは、「CaO添加AlN焼結体中の粒界層の移動」であった。これを書こうとしたら、「焼結」も「粒界」も変換できなかった。なんということだ!

大学院生時代(1991~1993)

バブルがはじけてしまったのではないか、という意識が徐々にひろがりはじめた時代。

惰性で大学院に進学(進学率が9割以上という学科であった)。

大学院は神奈川にあったため、初めてアパートを借りて一人暮らし。これがかなり年季の入った木造アパートで、最初の半年は「昆虫」との戦いに明け暮れた。膨大な時間と化学物質の投入により、絶滅に成功。ただ、エアコンもなく、となりの声も筒抜けであった。また、駅近くには本屋やCDショップすらないという場所であった。この経験から、就職したら絶対に、本屋とCDショップが近くにある、鉄筋コンクリートでエアコン付きの家に住もうと決意。

修士論文のタイトルは、「SiCウィスカー強化セラミックスの亀裂の観察」であった。

おじさん時代(1993~、20代)

就職活動もだんだん厳しくなる気配が出始めた時期。

就職活動を行い、いくつかの内定を頂いた。田舎暮らしはもういやだったので、勤務地が大手町で、始業時間が一番遅い会社を選択、現在に至る。

最初は再び、武蔵野市内の実家から通っていたが、1997年、28歳にして、一人暮らしスタート。現在に至る。

おじさん時代(1999~、30代)

2001年 32歳

私的な旅行1回、出張2回と3回も海外に行ってしまった。NYのテロはスペインのRondaという街で知った。京都での生活が終わり、東京での暮らしに戻ってきた。

2002年 33歳

ワールドカップがあった年。スロベニア、クロアチア、イタリアに旅行。英語学校に通い始める。

2003年 34歳

世の中ではイラク戦争があり、衆議院選挙があった年。

8月末から9月には、両親と妹を引き連れ、2週間の大ヨーロッパ旅行を敢行。

6年住んだワンルームマンションから10月24日に引越。吉祥寺駅から7分だったのが12分になってしまったが、1Kから2DKになって、居住性アップ。

仕事の面では、またまた大型プロジェクトに参加。

2004年 35歳

アテネオリンピックが開催され、ブッシュ大統領が再選を果たし、年末にはインド洋で大地震と津波が起きた年。日本でも台風の他に新潟では中越地震、新札も発行された。

2月に祖母が亡くなったり、3月から父がガンで半年近く入院したり、妹が出産したり、いろいろあった一年だった。

いつも9月に行く海外旅行は南米に行ったが、忙しいために10月になってしまい、出発も遅れて大変だった。

久しぶりに魚釣りを趣味として復活。

2005年 36歳

都議選があったほか、衆議院選挙があり、小泉自民党圧勝。JR西日本の福知山線が脱線。ロンドンで同時多発テロが起きた。国勢調査が実施された。日本の人口は減少へ。

年始から父のガンが再発し、入院。抗ガン剤の効果が無く、退院したが、結核で再度入院し、7月9日に死去。

魚釣りには行ったが、今年は就職してから、初めて海外旅行に全く行かなかったし、合気道の稽古も休んでいて、1回も道着を着なかった。

ドメインtakayas.jpを取得し、サイトを移行。blogを開始し、mixiに入った。世の中では、blog、SNS、iPodが大流行。

仕事の面では、大きな仕事を引き続き。忙しいばかりで、質が高い仕事ができたかな、と少し反省。

2006年 37歳

イスラエルがレバノンを空襲し、タイでクーデター。北朝鮮が核実験。ワールドカップがあり、小泉首相が引退して安部首相になった。飲酒運転といじめが問題になった年だった。

ゴールデンウィークにゴールドコースト、7月に台湾に短期の旅行に行ったが、長期海外旅行はこの年も行けず。夏は知床にも行った。

夏から秋にかけてとても忙しく、ほとんど休めなかったが、夏の研修で心を入れ替えて、やや朝型の生活に改善した。12月は国内出張ばかりだった。

家のインターネット接続を光ファイバーにした。

いろいろなことに受動的に過ごしてしまったが、自分が何をやりたいのか、したいのかをもっと明確にしなければならないとつくづく感じた年だった。

2007年 38歳

なんと言っても大事件は母の逝去。

春に母が亡くなってから、夏は参議院選挙があって、安部首相が突然退陣、世の中は偽装が相次ぐ。

それ以外は普通の年だった。夏休みはアイルランドに旅行し、秋にはタイ・マレーシアに旅行した。

車はLEGACY Touring Wagon 2.0i B-SPORTに買い換え。

2008年 39歳

夏には北京オリンピック。サブプライム問題に端を発した経済危機が本格化し、世界的な景気後退。アメリカ大統領選はヒラリー、マケインを破ってオバマ氏が当選。

福田首相が「あなたとは違うんです。」と言って引退し、麻生首相になった。

昨年秋からのNHK朝ドラ「ちりとてちん」にはまって毎日号泣。

お正月は香港に旅行し、ゴールデンウィークにはメキシコに旅行し、秋には久しぶりにアメリカに出張した。

週末は釣りも少々。天然湖への釣行が多かった。

仕事の面では、大きな2つの仕事にかかりきりになってしまったが、それぞれ勉強になる仕事だった。

「不惑」を前にした一年だが、人生って難しいと改めて感じた。

おじさん時代(2009~、40代)

世間的にはスマートフォンを使うようになった時代で、個人的には放送大学を卒業してみた。

2009年 40歳

オバマ大統領就任。日本でも夏の衆議院選挙で民主党圧勝、麻生政権に変わって鳩山政権誕生。事業仕分けをしたものの大幅な国債発行。

新型インフルエンザH1N1が発生し、街にはマスクをした人があふれた。幸いにしてたいしたことなかったけど。

春に放送大学に入学してみた。秋にtwitterを始めてみた。

ゴールデンウィークにはトルコ、6月には広州、夏休みにはウクライナに旅行した。

不惑になったのに、迷ったり戸惑ったりすることが多い一年だった。充実した一年と言えるかは分からないけど、とても大切な一年だったと思う。

仕事の面ではやはり経済状況を受けて厳しい状況。できることを久しぶりにいろいろ手を広げた。

2010年 41歳

鳩山首相から管首相に。

ゴールデンウィークにはキプロス・ギリシャ、6月にはウズベキスタン、夏休みにはロシアに旅行した。

会社は引っ越し、仕事も大変になった。

2011年 42歳

管首相から野田首相に。今年は何と言っても、東日本大震災。

ゴールデンウィークにはインド、6月には函館、7月にはハルピン、8月にはアイスランド、9月には北京、12月には南三陸町に旅行した。

仕事も個人的にも大変できつかった。厄年というのはあるんだな、という感じ。4月に足の裏にイボが発見され、毎週のように液体窒素で治療(通称:根性焼き)。

2012年 43歳

野田首相から安倍首相に。アメリカでもオバマ再選、ロシアは再びプーチン、フランスはサルコジからオランド、中国は胡錦濤から習近平、韓国は李明博から朴槿恵へ。

ゴールデンウィークには南米のボリビアとペルー、8月には青森と大連、12月には南三陸町に旅行した。

パソコンを買い換えてようやくWindows7(Dell XPS 8300)にし、Kindleを購入して電子書籍デビュー。テレビもブラウン管から大型液晶テレビに。

入院して手術をしたり、右足のアキレス腱が痛かったり、近くが見にくくなったり、健康というものについて考えさせられる一年だった。

停滞という言葉があてはまる一年だった。後ろを向かずに何か前向きなことを始めなければと思った。

2013年 44歳

安倍首相になって株式市場高騰。韓国では朴大統領、イランではロウハニ大統領、シリアでは内戦悪化、エジプトではモルシ政権がクーデターで倒れる。富士山が世界遺産になり、2020年の東京オリンピックが決まった。

1月に平戸・長崎に旅行したが、爆弾低気圧による大雪で一日帰りが遅くなる羽目に。ゴールデンウィークにはイスラエル旅行し、夏休みにはベトナム旅行し、8-9月には徳島旅行に行ったが、また台風で大変だった。9月には上海旅行した。東北は宿が埋まっていたりして行けなかった。

携帯電話が再び壊れたため、ついにAndroidのスマートフォンに機種変更。旅行も便利になった。年末にはRoombaも購入。

SNSが急速に普及したことによって、一年間中学校や高校の友達と飲むことも増えた。

健康診断で非難されたこともあり、ダイエットを敢行。泳いで走って、食事制限して、76kg超から夏休み明けには71kg程度まで絞ったが停滞期で終了。しかし、秋の特定保健指導では「現状維持」を目標として指示された。

仕事では勤続20年。きゃりーぱみゅぱみゅが生まれた年の入社とのこと。そして、自身では過去最大の仕事をやる羽目に。まあ、忙しくはなりますね。

2014年 45歳

ロシアがウクライナのクリミア半島を併合、イスラム国が領域を拡大し、西アフリカではエボラ出血熱が流行。日本ではSTAP細胞騒動、御嶽山が噴火、そして12月に衆議院選挙で自民党圧勝。

5月の連休にウラジオストク、ハバロフスク、8月には東トルキスタンに旅行したが、それ以外は放送大学の履修を控えて国内旅行に邁進。1月の大分に始まり、7月の福井嶺北、9月の釜石・気仙沼・平泉、久慈、10月の札幌・釧路、近江八幡、11月の岡山兵庫京都、秋田庄内と行きまくった。

仕事の面では巨大プロジェクトが尾を引いて前半はきつかったが・・・後半もきつくなった。

引き続き、中学校や高校の同級生に会う機会も多く、自分の人生について考えさせられる。

そこそこ健康だったが、近くが見にくい・・・。困った。

2015年 46歳

安保法案を巡ってデモが行われたりして、その割には安全保障議論は深まらなかった。イスラム国がついに域外であるパリでテロ。

1月には広島、5月の連休にはイラン、7月には鹿児島・知覧、8月の夏休みには河西回廊、9月のシルバーウィークには河西回廊、10-11月には京都奈良に行って、11月には山形石巻旅行。まあ、こんなもんですかね。

放送大学で日本美術史を履修したのをきっかけに、日本美術に開眼。旅行先や休日に美術館などに足を運ぶ趣味を持ってしまった。ますます一人遊びが上手に・・・。

2016年 47歳

パリとニースでテロ、バングラディシュのテロでは日本の方も亡くなり、トルコではクーデター。Post Truthという言葉があるそうだ。

イギリスのEU離脱が決まり、アメリカではトランプが大統領選で当選。

夏学期の履修登録を忘れてしまったために夏学期は面接授業のみ。

6月にスマートフォンをXperia Performanceに機種変更。

車はLEGACY Touring Wagon 2.0i B-SPORTをLEVORG 1.6GT EyeSightに買い換え。

1月には宮崎大分、4月には対馬。ゴールデンウィークには旧ユーゴスラビア、6月にはアンコールワット、7月には新潟、8月にはイギリス、9月にはタンザニアに旅行、10月には津和野・山口、12月には合掌造りと高岡。良く旅行しました。

仕事の量はセーブされてきましたが、その時間をどう過ごすか。人との出会い、別れ。人生は続いていきます。

2017年 48歳

トランプ大統領の振り回された一年。北朝鮮の脅威がさらに増してきました。年末にはイランでデモが拡大したり。国内では、総選挙があり、民進党が希望の党との合流で自滅し、安倍さんの長期政権が続きます。

今年最大のニュースは、放送大学で卒業論文を書き、単位数も見通しが立って、来年3月の卒業が決まったことでしょうか。

1月の連休に天草旅行、4月に松本と犬山、ゴールデンウィークにはシチリア旅行、7月には能登半島、夏休みにはポーランド、スロヴァキア、オーストリア、ルクセンブルク、ベルギー。9月には稚内と旭川、福島といわき。12月には前橋。卒業論文があったので、旅行は控えめだったつもりですが、結構いろいろ行っていますね。現存十二天守も制覇してしまいました。一方で、旅行記が追いつかない。そして、魚釣りはあまり行けなかった。

仕事はほどほどでしょうか。より管理職に近くなって来ていますが、世の中が変わっていく中で、スキルや能力を高めていかなければという気持ちも強いです。20年ぶりくらいにTOEICを受けてみたら、830点でした。仕事には関係ないですが、普通救命(自動体外式除細動器業務従事者)講習を受けてみました。

9月にはぎっくり腰になってしまったし、白髪も増えたけどもそこそこ健康。一人暮らしだし、相続したマンションを貸しに出したし、株高もあって、経済的にも恵まれた年でした。そこそこ良い人生なのかな、とも思います。「残りの人生」有意義に過ごさねば。

2018年 49歳

今年もトランプ大統領の振り回された一年。安倍さんの長期政権が続きます。米中の貿易戦争が激化、BREXITは見通しが立たない中、国内では6月の大阪北部地震、7月の西日本豪雨、9月の北海道胆振東部地震と停電、9月の台風21号での関空水没と災害も多くありました。平成最後の年末、天皇陛下の最後の記者会見も印象的でした。

個人的には春に放送大学を卒業したのが40代の締めくくりとして大きかったです。空いた時間で違う勉強をしようと思ったら、だらだらして終わってしまいました。

旅行は「半島」、「島」に目覚めました。1月は和歌山、4月に島原、ゴールデンウィークにマルタで英語研修、7月に秋田青森(津軽半島)、8月はキューバとカナダ、9月に三重、静岡、10月は佐渡島、11月は奄美大島、いやあ、よく行きました。マルタに行ってEUは28か国を達成し、47都道府県は全部行ったことがありましたが、津に行って47都道府県庁所在地を達成しました。

その代わり、魚釣りや美術館めぐりはちょっと控えめだったかも。

仕事はまたもや大型プロジェクト、家では年末はパソコンが壊れて買い換え(Dell XPS 8930 Windows10)たり、いろいろ大変でしたが、来年は良い年になりますように。

おじさん時代(2019~、50代)

2019年 50歳

天皇が譲位され、5月に令和になった。香港の民主化デモが激化。台風2個が首都圏を直撃、千葉は大変なことに。ノートルダム寺院と首里城が焼失。10月には消費税が10%になり、不毛な軽減税率も導入。キャッシュレスのポイント還元が政府によって始められ、私もQR決済にPayPayやd払いにデビューしました。12月31日にはカルロス・ゴーンがレバノンに逃亡。

旅行は引き続き島にはまっていました。天皇即位の関係で祝日が不規則で、三連休もたくさんありましたが、台風に旅程を妨害されがちでした。1月に関門海峡、2月に伊豆大島、ゴールデンウィークにニュージーランド、4月に八丈島、6月に淡路島、7月に隠岐、夏休みにグアテマラとホンジュラス、8-9月に五島福江、9月に伊豆半島、種子島ではなく鹿児島、11月に京都、種子島、12月末には八重山に旅行。

美術検定3級も取得してみました。

最大のニュースは16年ぶりに近所ながら引っ越し、部屋が2DKから2LDK、面積がほぼ1.5倍の南東向きと一気にQOLが改善。

仕事では再び大型プロジェクトに・・・。また、長らくメール依存だった仕事のやり方がMicrosoft Teamsの導入で変化。

2020年 51歳

何と言っても新型コロナウイルス感染症。感染が拡がった3月から在宅勤務に。香港の民主化は中国の国家安全法で風前に灯火に。国内では安倍首相が長期政権を終え、アメリカは選挙でトランプをバイデンが破ったものの、トランプが負けを認めず。米中の覇権争いも激化、冷戦後の平和への希望、民主主義の拡大に転機が訪れたように思います。

旅行は引き続き島にはまって1月に徳之島に行ったものの、新型コロナウイルス感染症でその1回きり。一方、魚釣りに本格的に取り組み、バス釣りはガイドをお願いして大きな魚を釣り、苦手としていたワームもかなり覚え、ラインもフロロやPEを使い分けるようになりました。会社の仲間から海釣りも教えられてアジやカワハギも釣りました。結果、道具が増えてリールもロッドも1ダースを突破。在宅で通販が使いやすいので・・・。夏休みは旅行に行けないので、小型船舶の免許もとりました。

美術館も再開し、ぽつぽつと行きました。日時の予約が必要なのが面倒ですが、混雑なく見られるのは良いことで、これは続けて欲しい。

引っ越して広い家になって在宅勤務。家賃の元を取った気がします。仕事はぼちぼちですかね。

2021年 52歳

新型コロナウイルス感染症の波で年が明け、1年のほとんどが緊急事態宣言やら蔓延防止重点措置やらで、ワクチンのせいか年末に一息。ワクチンは職場で7月にモデルナを2回打ち、副反応も大したことなく終わりました。

あとは1年遅れの東京オリンピック・パラリンピック。緊急事態宣言下で実施。まあ、もともとチケットの予約もしていなかったので、できて良かった、ということでした。

国内では菅首相が2050年カーボンニュートラルを宣言し、デジタル庁を作ったもののオリンピック・パラリンピック後に退陣し、岸田首相になって衆議院選挙。アメリカはなんとかバイデン政権に移行したものの、支持率は低迷。ミャンマーではクーデター。米軍が撤退したアフガニスタンではタリバンが再び国土を掌握。ウクライナではロシア軍が集結して緊張が高まっています。そして世界中で半導体不足。

夏休み後の2か月は全く会社に行かず、コロナ太りで一時80kgという最高体重をマークしたものの、身体が慣れたのか少し戻りました。年末になって週に2-3回出勤するようになったものの、定期券はないし、フリーアドレスで自分の席がなくなりました。賃貸の自宅は初めての契約更新。

ノートパソコンを買い換えて旅行再開のタイミングを計っていますが、いつになることやら。ちなみに、家のパソコン2台はWindows11にアップグレードです。

今年は大きな仕事もしつつ、魚釣りに明けくれ、なんと57回行って、358匹釣りました。今年もバス釣りはガイドと釣ったりして研鑽に努め、富士五湖だけではなく房総のダムにデビュー。相模湖や芦ノ湖も行きました。榛名湖も・・・釣れなかったけど行きました。亀山ダムで夏にベイト2セットを奉納してしまったため、買い換えて道具もここ2-3年のモデルに近代化されています。釣りに行きすぎて肘が痛いです。2022年も釣りかな、それとも旅行かな。

2022年 53歳

引き続き新型コロナウイルス感染症の日々。ただし、各国でウィズ・コロナの対応が始まり、日本でも感染者が増えても緊急事態宣言は最後には実施されなくなった。接触確認アプリCOCOAも機能停止。一体このアプリは何だったのだろう。そして年末には中国がゼロコロナ政策転換で感染者急増?

2月24日にロシアがウクライナ侵攻開始、小麦、原油と全てが高騰、日本もついに物価上昇に。

ウィズ・コロナということで、仕事も在宅中心ながら、週に終日は出勤する状態に。前半はまたまた大きな仕事に翻弄されました。老眼ももっと進んだような・・・。

2020年1月の徳之島旅行以降耐えていた旅行も復活。7月に久し振りに宮古花巻旅行に出かけ、9月には屋久島旅行で久し振りに飛行機。11月には日帰りで法隆寺金堂壁画を見てきました。海外旅行の復活は・・・まだですかね。

結局のところ、休暇は魚釣りが中心で、59回行って、302匹釣りました。バス釣りは最新になったロッドとリール全てに「入魂」でき、10月2日には河口湖でついに50cmのバスをバズベイトで釣りました。ただし、ほとんどのバスはダウンショット、それもレッグワームだったので、もっと幅を広げることが課題です。そして7月はボートからの落水も経験。それ以外にも、芦ノ湖のトラウトを春に初めて釣り、船釣りもタチウオのジギングの乗合船に初めて一人で乗り、その後タチウオやアジも一人で行けるようになりました。カワハギのロッドも勝ってしまい、いろいろ幅も拡がり気味。

自転車も買ってみたのに結局ほとんど乗らず。年末年始に体調を崩してしまったこともあり、健康第一で過ごしたいです。

2023年 54歳

新型コロナウイルス感染症がG7前の3月に五類感染症に移行、皆マスクを外して一応日常に戻ってきました。

世界ではロシアのウクライナ侵攻が続き、さらにはハマスのテロ攻撃をきっかけとしてイスラエルがガザ地区に侵攻。アメリカがイスラエル側に立つので、混沌としてきた。コロナ後のインフレが拡がって各国強烈な利上げ、日本も久し振りに物価高になったのに、金融緩和継続で猛烈な円安。

生成AIのChatGPTが大ブレーク。自分が生きている間にこんな技術が実現するとはびっくり。

身近なところでは年末に市長退任(国政挑戦)による市長選・市議補選があり、武蔵野市の市長が革新から保守へ。

またまた大きな仕事が始まり、仕事のストレスはかなり大きな一年でした。

旅行は1月に高知に行ったことを皮切りとして、いつもより年度末仕事が早く終わったためになんと3月に大崎上島へ、その後4月に三宅島、7月には琵琶湖の釣りのあと舞鶴、9月には与那国島、11月には常磐会津と富山、年末には銚子。国内旅行は8回。ただ、海外旅行はまだまだ。気がついたらなんとパスポートの有効期限が切れており、年末に再申請。

引き続き魚釣りにも精を出し、特にバス釣りに特化。BASSERは毎月読み、毎週のように出かけました。前年度にはじめて河口湖で50cmを釣ったのに続き、5月には初めて琵琶湖に行って、51cm、11月には河口湖で52cm、50cm以上を2匹も釣れて幸せでした。2年近く続いたダウンショット、それもレッグワームでしか釣れない病の脱却を目指したところ、秋に少し光が差した感じ。反面、釣りに行ったときに車をぶつけて高額の修理となってしまい、レンタカーで釣りに行ったら今度は追突されるということもありました。

このサイトの作成及び運営方針

自ら課しているルールを忘れないように書いておかなくては!

用語の定義

言葉は丁寧に使うこと。日経新聞のように何でも「ホームページ」と呼んだりしないこと。

掲載内容

人が読みたいことより、自分が書きたいこと。自己満足型。

ページ作成

HTML4.01とCSSに従って、Editorで作成する。オーサリングツールはきちんとしたHTMLを生成しないので、使わない。

むやみに画像を使ったり、デザインに凝ったりするのではなく、機能的で読みやすいレイアウトを追求した上で、情報の内容で勝負する。フレームは嫌いなので使わない。

「IE5.0以上でお読み下さい。」などということは間違っても書かない。出来るだけ多くの人が見られるように考えて書く。ただ、実際問題として全てのブラウザでチェックするのは難しいので、自分の環境のみでチェックし、見にくいという意見があったら直すというスタンスをとる。

更新

気が向いたときに。

リンクの扱い

高谷 徹 Web Site!からリンクしているサイトは、以下のような観点で選択しています。

サイトの歴史

このサイトの偉大な歴史を以下に記す。なんと世紀をまたがる大プロジェクトなのであった。

年月日 出来事
1999年4月2日 サイト公開開始
2005年8月8日 サイトをwww.takayas.jpに移行
2018年9月6日 サイトをホスティングサービスをWebArenaからさくらインターネットに移行し、SSL化。

このサイトへリンクされる方へ

リンクはご自由にどうぞ。

Top Page以外のページは、URIが変更されたり、削除されたりする場合があります。

このサイトの著作権

このサイトのページは、高谷徹が著作権を持っています。

このページに関するご要望は高谷 徹(toru@takayas.jp)まで

Valid HTML 4.01!このページはHTML4.01に準拠して作成されています。

MADE WITH CASCADING STYLE SHEETSこのページはCSSを利用して作成されています。