ポルトガル

最終更新日 1999年12月29日

ポルトガルはスペインの西に位置し、ユーラシア大陸の西の端。日本ではスペインに行く人は多いが、直行便もないポルトガルへ行く人は少ないかもしれない。しかし、ヨーロッパでは人気のある観光地のようで、南国を思わせる雰囲気あり、何か懐かしさを感じさせる異国情緒ありで、食べ物もおいしい。

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国について

国の概要

国の概要
国名ポルトガル共和国、Portuguese Republic英語)
国土イベリア半島の西側で、東はスペイン、西は大西洋。
気候大半はCs
人口約981万人(1996)
民族ポルトガル人など。
宗教カトリック
首都Lisboa、リスボン、Lisbon(英語
経済状況一人当たりGNP10,160ドル(1996)
時間グリニッジ標準時間(GMT)、ただし夏はサマータイムで1時間繰り上がる。
国番号351
観光客971万人(1995)

言語

インド・ヨーロッパ語族ロマンス語派のポルトガル語。スペイン語や、イタリア語に似ているような気がする。基本的にはアルファベットだが、いくつか特殊な文字がある。

英語は、ほとんどの場合通じる。ただ、皆が流暢に話すというわけではなく、人によって得手不得手があるようだ。観光地の受付でも、私が行くと一瞬困った顔をして、たどたどしい英語を一生懸命話すようなこともあった。また、レストランで金額の請求が英語ではなく、紙ナプキンに書いてもらったこともあった。

ポルトガル語(正確ではないかも知れないが通じたもの)
ありがとうObrigadoオブリガード!女性は違う言い方をするらしい。
こんにちはBoa tardeボア・タルデ
〜をお願いしますpor favor〜、ポル・ファボール
ガス抜きのミネラルウォーターを下さいAgua mineral sem gas por favorアグア・ミネラル・セム・ガス・ポール・ファボール カフェでウェイトレスに言ったら、結構受けた。
マグロAtum uは上にアクセントアトゥーン
Salmao aは上に~サルマオン
Sardinhaサルディーニャ

通貨

エスクード(ESCUDOS,$)、補助通貨単位(1/100)がセンターヴォだがほとんど見ない。

1$=約0.7円

日本では両替できない。日本円のT/Cを持って行けばいいと思う。

ビザ

日本人は3ヶ月以内の滞在なら必要ない。EUに加盟しているので、EUの人達はすいすい出入りしている。

Lisboa(リスボン)

初の海外「個人」旅行リスボンとして、1997/9/26に英国航空でLondonから到着、4泊して1997/9/30に、やはり英国航空で、London経由で成田に帰った。

Lisboaはポルトガルの首都であり、テージョ川の河口に位置する港町である。7つの丘の街と呼ばれ、テージョ川に面した旧市街を丘が取り囲む形になっている。

カトリックの国、というのを強く感じさせる街で、ちょっとした建物の壁に宗教的な絵がかかれていたりするし、テージョ川にかかる橋の建物にもキリストらしき立派な像が構えている。

到着

1997/9/26に英国航空でLondonから到着。

リスボン空港へ着陸

Lisboaへの到着はなかなか劇的。Londonからの飛行機でリスボンに向かったが、Lisboaへの着陸が近づくと、丘が連続するような地形が続き、その丘に、白い壁に赤い屋根の石の家がびっしりとはりついているのが見えてくる。以下にも南欧の国に来たという感じがしてくる。空港への着陸が近づくと飛行機は大きく旋回したが、そうするとテージョ川にかかる、ヨーロッパ最大という橋が視界に入る。滑走路に着陸すると、日差しが強く明るく、土も乾燥した色合い。椰子の木が生えていて、南国情緒たっぷり。Londonから到着すると、明らかに雰囲気が異なってわくわくした。

空港から市内へ

エアポートバスでRossioの広場まで行く。

宿泊

HOTEL MUNDIAL

1997/9/26-9/30に4泊。日本から予約して行った。

住所、連絡先

Rua Dom Duarte, 4
telephone +351 886 3101
fax +351 887 5777

フィゲイラ広場(Praca da Fiqueira)から裏に入ったすぐのところにある。泊まった部屋は建物の裏側だったが、サン・ジョルジェ城(Castelo de Sao Jorge)が見える。例によって工事をしていてうるさかったが。

値段

日本で予約したとき、ちょうど1泊1万円だった。

泊まってみて

なかなかいいホテルだった。部屋は狭かったが、重厚な雰囲気。朝食は長めの良い最上階のレストランでとることが出来る。値段との兼ね合いでは十分に満足できる。受付のお姉さんの愛想もよい。

交通

坂道が多い街なので、ケーブルカーやエレベータなども交通機関として活躍している。Lisboaの市内交通は、Carrisという会社が全て運用しているようだ。切符は共通のものが買える。1回限りの乗車券のほか、何日間か有効なものもある。サンタ・ジュスタ線(エレベータ)などで買うことが出来る。

バス

道沿いの柱に、かまきりの卵のように停留所の印がついていて、路線図や時刻が分かる。

ケーブルカー

日本でもよく山にあるようなケーブルカー。坂が多いLisboaでは、立派な交通機関として利用されている。

市電

観光客にとっては、一番便利で楽しいかもしれない。結構古い車両もあれば、電光掲示板がつき、バスのような近代的なものもある。外を見ながら走るのは最高。特に、12番、28番は、Alfamaの狭い街を建物すれすれに進んでいく。あまりにも道が狭いので、市電が通り過ぎる間、通行人は近くの家の扉がある、へこんだところに避難したりして待っている。古い街からこれまた古い市電が現れるところなど、なかなか絵になる景色。

エレベータ

街中にエレベータがあって、これがまた立派な交通機関らしい。ただ、私が行ったときには、エレベータの上部からBairro Alto方面への通路が閉鎖されており、単に上ったり降りたり出来るだけだった。

タクシー

最後の日に、ホテルから空港へ行くまでに利用したが、思ったより安かった。車は古いベンツだった。

地下鉄

2路線あるようだが、結局乗らずじまい。

食事

食べ物

肉料理も豊富だが、魚介類の消費量も世界第3位らしく、シーフードが豊富。おかげで毎食、毎食とても楽しい。鰯をはじめとして、マグロ、太刀魚などの魚、アサリなどの貝、海老、タコ、イカなどがたくさん。米も食べられている。

調理法も様々で、焼いたり、煮込んだりする。スープや煮込んだおじやのようなものも種類が多くておいしい。ニンニクで味付けされていることが多い。ただ、鱈の塩漬けのようなものは、しょっぱくて口に合わなかった。

ケーキやお菓子も豊富。凝った飾りのお菓子、というよりも、素朴なみかけのお菓子が多い。何といっても、日本にカステラをもたらした国だから。

飲み物

ワインも多く飲まれている上に安い。ハーフボトルのワインが用意されていることが多いので、1人で行ってもワインを楽しむことが出来る。有名なポートワインもあり、メロンなどにかけて出てきたりする。

シーフードレストラン

泊まったホテルの近くに、R. Portas de Santo Antaoという、シーフードレストランがひしめく通りがあり、おかげで毎食シーフードづくしだった。

大抵サービスはよく、大変に入りやすい。観光客が多いから慣れているからだろうか。前を通ると、どうだ入らないか、と声をかけてくることも多いが、しつこくはない。色々見ながら気に入ったところに入ればよい。困っているとお勧め料理を言ってくれるし、きびきびとしている。メニューは英語のものも含めた複数の言語のものを用意していることが多い。

また、日本のすし屋か料亭のように、取り扱っている魚介類を店の入り口に展示していることが多いので、それを指差せば料理してくれる。ある昼にふらっと入ったレストランでは、あさりが入ったばかりで、バットの中で水を吹いていたので、「これが食べたい」というと、ニンニクやバターと煮込んだ料理を作ってくれた。

カフェ

カフェが会って、店いっぱいにお菓子が並んでいる。一応、席につくとウェイターなり、ウェイトレスが来て、そこで注文するのが手順だが、ケーキの名前などさっぱり訳が分からない。そこで、ウェイトレスに頼んで、ケーキが並んでいるところまで一緒に行ってもらい、食べたいものを指差して注文した。連日それをやっていたら、ウェイトレスに顔を覚えられてしまった。

Pateo 13

CALCADINHA DE STO. ESTEVAO, 13 - ALFAMA - 1100 LISBOA
telephone 888 23 25

Alfamaの街をあてもなく歩きまわっていたら、突然狭い街の真ん中のちょっとした広場にあったレストラン。有名なSardinhas Assadasという料理を頼んでみた。要は鰯の炭火焼きである。店、というか広場の一角に、鰯が山盛りとなっており、そこから無造作にいくつかの鰯をとると、バーベキューセットであるようなグリルの上に載せ、白ワインをぶんぶんとかけながら焼いてくれた。ただそれだけの料理だったが、とてもおいしかった。

Baixa(バイシャ)

Baixaは、Lisboaの要の部分にあり、テージョ川に面した平地である。旧市街で、碁盤の目のように区画された、テーマパークのようでさえある地域である。

1998年の万博の準備か、至る所で工事をしていた。テージョ川に接するコメルシオ広場(Praca do Comercio)でさえ、工事中だった。

Bairro Alto(バイロ・アルト)

Baixaの西側にある丘の上に広がる地域で、ナイトライフの街。有名なファドというポルトガル流の演歌?のようなものを聞かせるレストランに入ってみた。音楽はよく分からなかったが、歌手の方はとても強烈な方で、その方のカセットテープまで買うはめになってしまった。

Alfama(アルファマ)

Baixaの東側にある丘の上に広がる地域である。中心にサン・ジョルジェ城(Castelo de Sao Jorge)があり、丘に家がびっしりとはりつき、迷路のような道が走っている。

Lisboaで一番好きになったところ。建物には大きな女性ものの下着が堂々と干してある。迫力あるおばちゃんが、まとわりつく子供を叱りながら、道に出したグリルで魚を焼いている。道端の排水溝には、鰯の頭が引っ掛かっていたりする。入り組んだ狭い街をあてもなく歩いていると頭の中が真っ白になる。視線を感じて上を見ると、小さな女の子が2階から見ていたりする。建物の壁には一面に、聖者の絵が書かれていたりする。

歩きつかれて、カフェに入り、ビールを飲み、ほろ酔いでボーっとしながら、眼下に広がるテージョ川を見て、風に吹かれていると、本当にリラックスできる。もう一度行ってみたい!

Belem(ベレン)

Lisboaの中心部から、西に少し行ったところにある街で、市電に乗って出かけた。「発見のモニュメント」という観光客が喜びそうな建物があり、大航海時代の人々が掘られている。この建物には登ることが出来るのだが、天気が悪く霞んでおり、何もみえなかった。モニュメントの下の広場には、世界地図と、発見された年号が地面に書かれている。日本は、16世紀に「発見」されたらしい。

ジェロニモス修道院(Mosteiro dos Jeronimos)という、古くてとても立派な建物があり、観光客がいっぱいいた。

Lisboaの人達

Lisboaの人達はあまり背が高くなく、髪の毛も亜麻色である。男は、髪の毛を長くして後ろで縛っていたりして、歴史の教科書に出てくる宣教師みたいな顔の人が結構いる。女性も地味な感じがするので、北欧から来たらしい観光客の女性が歩いていると、背の高さといい、金髪といい、色の白さといい、とても目立っていた。

かつて多くの植民地をもっていたこと、ブラジルとのつながりが強いことからか、真っ黒な中南米系の人も多くいて、国際都市であることを感じさせる。

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