セルビア

最終更新日 2016年6月7日

2016年4月~5月に旧ユーゴスラビア旅行で訪問。

Tweet

国について

国の概要

国の概要
国名セルビア共和国、Република Србија / Republika Srbija(セルビア語 キリル文字/ラテン文字)、Republic of Serbia(英語)
国土バルカン半島の中央にある内陸国。クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロ、コソボ、マケドニア、ブルガリア、ルーマニア、ハンガリーに接する。ただし、セルヴィアはコソボの独立を承認しておらず、コソボ・メヒトヤ自治州であるとしている。北部もヴォイヴォディアン自治州としている。北部は平野、南部は高地と山地。結構山が多く、緑に覆われている。
人口約728万人(2012)。ブルガリアと同じくらい。
民族セルビア人83%、ハンガリー人4%、ボシュニャク人2%他。
宗教セルビア正教が85%、カトリック教が6%、プロテスタント1%、イスラム教3%
首都ベオグラード(Београд /Beograd)
経済状況一人当たり国内総生産12,464ドル(PPP,2013)。
時間UTC+1。日本より8時間遅れているが、サマータイムがあり、その時期には日本より7時間遅れとなる。
観光客68万人(2010)

言語

公用語はセルビア語。文字はキリル文字だが、ラテン文字も多く使われている。クロアチア語、ボスニア語とは同じ言語だが、クロアチア語とボスニア語はラテン文字しか使わない。

セルビア語
こんにちはドーバル・ダン。チェコ語、スロヴェニア語、ブルガリア語と似ている。
ありがとうフヴァーラ。

料理

内陸国なので肉が主体。焼き加減が絶妙でおいしい。肉を使った料理というよりも、肉を料理したものという感じで、肉の塊を食べる。オスマン朝に支配されていたこともあるが、豚肉も普通に食べられている。バルカン半島らしく、ラキヤという蒸留酒もある。

歴史(旧ユーゴスラビア)

第二次世界大戦中に成立したユーゴスラビア社会主義連邦共和国は、セルビア社会主義共和国、ボスニア・ヘルツェゴビナ社会主義共和国、クロアチア社会主義共和国、スロベニア社会主義共和国、モンテネグロ社会主義共和国、マケドニア社会主義共和国の6つの共和国から構成されており、「七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家」と言われていたが、90年代前半に崩壊し、それぞれ別の国となった。コソボも独立を日本を含む多くの国に承認されている。

通貨

ディナール。DINと表記もされる。補助通貨パラがあるらしいが、見なかった。

ほぼ円と同じ価値なので、大変わかりやすい。

両替

両替レート
日付手段レート
2016年5月2日クレジットカード1DIN=1.021円

ビザ

90日以内なら不要。

交通

バス

都市間の移動は鉄道よりもバスが便数、所要時間の両面から便利。値段も安い。

各都市にはバスターミナルがあるが、なぜか乗り場に行く際に改札がある。そのため、バスの出入り口もゲートが開け閉めされる仕組みで、乗り場に歩いて自由に出入りできないようにしている。どうせバスに乗るときチケットを確認するので、不要だと思うのだが。モンテネグロにもあったが、クロアチアやボスニア・ヘルツェゴビナにはない。

バスの切符には座席番号も印字されるが、実際には皆自由に座っている。

関連リンク

Wikipedia

セルビア

ベオグラード(Београд/Beograd)

ベオグラードはセルビア共和国の首都であり、解体前のユーゴスラビアの首都でもあった。ドナウ川とサヴァ川が交わる交通の要所にある。

旧ユーゴスラビア旅行で2016年4月30日(土)に成田から到着し、2泊。5月2日(月)にモンテネグロのポドゴリツァに出発。

Wikipediaのベオグラード情報

到着

2016年4月29日は休日の夜出発だったので、のんびりと荷造りをして準備をしていたら、ぎりぎりになって、中央線に乗り遅れたと思ったが、中央線が遅れていて乗ろうとした電車に乗れた。しかし、中央線が遅れていて成田エクスプレスに乗り換えられないかと思ったらぎりぎり間に合った。成田エクスプレスは微妙に遅れて成田空港に到着した。成田空港への到着時間は余裕を持っていたが、飛行機の出発が22:30から22:00に変更されていたのでちょうどよいくらいだった。

空港でチェックインしたところ、セルビアでは出国するチケットを持っていないと入国できない場合があるとのこと。陸路で出国するので事前に手配できないため、その旨を入国時に説明してくださいということで、入国できなくても自身の責任で対処して航空会社には迷惑をかけません、といった誓約書にサインさせられた。今までオープン・ジョーで旅行してきたけど、こんなことを言われるのは初めて。

成田空港の運用は23:00までとのことで、この日の国際便の最終となっていた。なので、免税店はもちろん、飲食店もほとんど閉まっており、夕食を食べられなかったのでスナック菓子をかじった。

成田空港第一ターミナルからTurkish Airlines TK0053のA330-300でイスタンブールに向けて22:45ごろに離陸。22:30出発が22:00出発に変更されていたが、離陸待ちの時間が長かった。今回は座席の予約が遅れて長距離なのに窓側。途中何度も「お客様の中にお医者様はいらっしゃいませんでしょうか。」というアナウンスが流れていてちょっと心配。大丈夫だったのだろうか。

翌30日の5:00前に予定より早くイスタンブール空港到着。ここで夜が明けてきた。

Turkish Airlines TK1081のA737-900ERでイスタンブール空港を7:40発、ベオグラードに8:30ごろ到着。窓側の席だったが、窓から見えるセルビアは、緑に覆われた山の間に赤い屋根の民家、青い色の川が流れていてきれいだった。

空港のATMで現地通貨ディナールを下ろし、入国審査へ。緊張したが、iPhoneをいじっている隣の女性と話しながら若い女性の入国管理官があっさりとスタンプを押してくれて終了。質問なし。簡単じゃないか。

入国してバスでベオグラード駅まで。バスは300DINで、空いていた。バスターミナルでバスを降り、鉄道駅まで歩いて5月2日のBeogradからPodgoricaへの切符を買った。英語も通じてスムーズ。1228DINだったが、おつりは省略されて1230DIN払った。

ホテルにチェックインしてとりあえず入浴。

宿泊

JUMP INN HOTEL

2016年4月30日(土)から5月2日(月)に2泊。

鉄道駅&バスターミナルから見えるほど近い。内装もきれいで、スタッフもきびきびしている。

ベオグラードの観光

セルビアに到着した4月30日(土)、朝から一日観光。どうやら2016年の4月29日(金)~5月2日(月)は聖金曜日や復活祭で祝日らしく、博物館がことごとく閉まっていた。残念。

NATO空爆跡

ユーゴ紛争時にNATOによる空爆が行われたが、官庁街の一部にその跡が残されている。わざと残していたのかもしれないが、さすがに取り壊しをしているようだった。

聖サヴァ教会

比較的新しい教会だが、バルカン半島最大とのことで巨大。外部から見ると完成しているが、中に入るとコンクリートが露出していたり、ビニールで覆われていたり、まだ工事中。しかし、人は多い。

やっぱり入口は西を向いている。

テラジエへから共和国広場

聖サヴァ教会から北に歩いて行くと、テラジエと呼ばれる地域があり、さらに道なりに歩いて行くと共和国広場に出る。このあたりが街の中心になっているが、ヨーロッパらしい町並みは残されている。

国立博物館を見ようと思ったが、祝日で閉まっていた。

昼食

このあたりで力尽きてきたので、共和国広場のレストランでビースステーキとコカコーラで昼食。1,200DIN位だった。シンプルなビーフステーキだが、肉は焼き加減も含めておいしい。

クネズ・ミハイロ通り

テラジエの北からはクネズ・ミハイロ通りが延びていて、歩行者天国になっている。ZARAやH&Mがあったりして、人通りが多い。

セルビア正教大聖堂とリュビツァ妃の屋敷

クネズ・ミハイロ通りの端まで来たが、途中の博物館もことごとく閉まっているので、セルビア正教大聖堂を見た。近くのリュビツァ妃の屋敷にも行ったがこちらは中には入れなかった。

カレメグダン公園

街の一番北側はカレメグダン公園。ベオグラードはサヴァ川とドナウ川の合流地点にあるが、この公園部分はその突端になっていて、小高い丘のようになっている。当然のことながら、古くから要塞が築かれてきた。休日のせいか人も多い。スタンボル門を通ると、川の合流地点を見渡せる場所に出る。景色を見てから、ジンダン門、レオポルド門を通って外に出ると降りてすぐ聖ルジツァ教会、聖ペトカ教会という二つの小さな教会がある。

折り返してサヴァ川沿いに歩いて行くと、ローマの井戸(Roman Well)というものがあり、名前に惹かれて有料だが入ってみると、最初の説明に、「ローマの井戸と呼ばれるが、作られたのは新しい。」と書いてある・・・。しかし、らせん状に階段を作りながら掘り下げた井戸は素晴らしく、上から覗けるようになっているが遠くの水面に吸い込まれそうになる。

ここでいったんホテルに戻って休憩。

夕食

ホテルでうとうとした後、再び街の中心まで歩き、ホテルバルカン近くの賑やかなレストランでムチュカリツァとビールで夕食。このムチュカリツァというのは、豚肉の小さな塊をトマトとタマネギとたぶんパプリカで煮たもの。レストランと言うより食堂という感じで、店員も愛想はよくないが、料理はとてもおいしかった。810DINだが900DIN払った。ホテルに戻って倒れるように就寝。

ノヴィ・サドから戻って夕食

セルビアに到着してベオグラードを観光した翌日の5月1日(日)は、朝からノヴィ・サドを日帰りで観光。

ベオグラードに戻ってきて、夕食はレストラン街のスカダルリヤで。焼いたピーマンの上に牛肉のステーキがのっているもの。1,790DINだったので、2,000DINを支払った。

駅前の公園

駅前の公園にはUNHCRのマークがついたコンテナがあった。近くの別の公園にはそれほど多くはないものの人が固まっていて、警官が見守っていた。昨年2015年の秋から冬は難民が野宿していたというが、まだシリア難民が残っているのだろうか。

出発

2016年5月2日(月)にホテルをチェックアウトし、ベオグラード駅へ。9:10発のバール行の列車に乗り込み、ポドゴリツァに向けて出発。

普通に二等車にしたが、外から見ると二等車だけ落書きだらけではっきりとした差が。

ノヴィ・サド(Нови Сад/Novi Sad)

セルビアの北部はセルビア人以外の民族も多く、ヴィイヴォディナ自治州となっている。ノヴィ・サドはヴィイヴォディナ自治州の州都となっていて、セルビア全体でも第二の都市。

このノヴィ・サドもドナウ川沿いにある。

セルビア旅行で2016年5月1日(日)にベオグラードから日帰り。

Wikipediaのノヴィ・サド情報

到着

2016年5月1日(日)ベオグラードのバスターミナルを9:15発のバスで出発。740DIN。切符売り場で切符を買うと、切符とともにコインを渡される。このコインはバス乗り場に入るときに使う。

車窓は丘はあるものの平坦な地形に森や畑の緑が広がり、時々赤い屋根の集落が見えるというもの。春なので黄色の花が一面に咲いていたり、気分がよい。

ノヴィ・サドの観光

バスターミナルで降り、帰りの時刻表を調べようと思ったが、セルビア語でよくわからず、とりあえずそれなりに便数があるようだったので、旧市街に向けて歩き始めた。

町中には三つの旗が掲げられていて、セルビアの旗以外の二つは自治州に関するものなのかもしれない。

ペトロヴァラディン要塞

まずは街を通り過ぎてドナウ川を渡り、ペトラヴァラディン要塞へ。橋を渡っていると風が強い。

ペトラヴァラディン要塞は、ドナウのジブラルタルとも呼ばれた要塞。山が城壁で固められているが、実は下の市街区も要塞になっていたらしい。現在では、ドナウ川とノヴィ・サドの街を一望できる公園のようになっている。日本だったら桜を植えそうな場所。

城壁内の建物はアパートのようになっていて、芸術家が住んでいるようだ。また、この要塞ではバルカン半島最大のEXITという野外音楽祭が行われるとのこと。

例によって博物館は復活祭で休みだったので、カフェ&レストランでケーキとエスプレッソ。日本のケーキと違って大きいので、別腹とはいえ、おなかいっぱいになる。440DINだが500DIN払った。

ドナウベ公園

ペトラヴァラディン要塞からドナウ川を渡って戻ってきて、ヴォイヴォディナ博物館も復活祭で休みだったので、そのまま歩いてドナウベ公園へ。このあたりからは歩行者天国になっている。

セルビア正教会

中心部にある教会。ここは中に入ることができた。北向きに入ったがそこは横で、やはり東を向いて祈るようにレイアウトされていた。

市庁舎とカトリック大聖堂

セルビア正教会から南に歩いて行くと路上に席を広げたレストランが並び、そこを通り過ぎると市庁舎とカトリック大聖堂が向かい合った広場に出る。両者とも中に入ることができなかったが、市庁舎はルネッサンス様式で、日本の擬洋風建築を思い出させる。

カトリック大聖堂は今風の典型的なゴシック建築という感じ。

昼食

バスターミナル方面に戻りながら、レストランで昼食。肉団子のようなチェヴァプチチとミネラルウォーター。美味しいけど、10個もある。750DINだが、800DIN払った。

食べている間にだんだん天気が悪くなってきた。雨男過ぎる。

出発

点在する教会をみながらぶらばらとバスターミナルまで戻ると、10分後の15:50にバスがあると言うことで、700DINで切符を買い、15:50に出発。満席に近かった往路と異なり、客が少ない。ぐっすり寝てしまい、17:00にベオグラードのバスターミナルに到着。

このページに関するご要望は高谷 徹(toru@takayas.jp)まで