ホンジュラス

最終更新日 2019年9月6日

ホンジュラスは、太平洋とカリブ海に接する中米の国で、西のグアテマラ、東のニカラグアの間にある。

2019年に中米旅行グアテマラから国境を越えてコパンだけ訪問。

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国について

国の概要

国の概要
国名ホンジュラス共和国、República de Honduras(スペイン語)、Republic of Honduras(英語)
国土西はグアテマラ、東はニカラグア、南にエルサルバドルに囲まれ、カリブ海と太平洋に接する。
気候沿岸はAf-AW、内陸の高原はCw。夏は雨季。
人口約747万人(2008)。
民族メスチソ90%、インディヘナ、黒人、白人
宗教カトリック87%
首都テグシガルパ
経済状況一人当たりGDP(PPP)4,592(2013)
時間UTC-6
観光客90万人(2010)

言語

公用語はスペイン語。

通貨

レンピーラ(L)。ただし、短期なので使うことはなかった。

ビザ

90日以内なら日本人は不要。

歴史

グアテマラと共に1821年にスペインから独立して中米連邦共和国を形成するが、グアテマラが連邦から離脱してしまい、1838年にホンジュラス共和国として独立した。

バナナ共和国と呼ばれるほどバナナ・プランテーションが発達し、かつ米資本のフルーツ会社ユナイテッド・フルーツが強い影響力を持ち、それをアメリカ合衆国が支援した。

中米の中では貧しい国で、近年は治安も悪化している。

電源

日本と同じプラグ形式。

関連リンク

Wikipedia

ホンジュラス

コパン・ルイナス(Copán Ruinas)

ホンジュラスの西部、グアテマラとの国境近くにあり、世界遺産となっているコパン遺跡がある。

中米旅行として、2019年8月12日(月)にグアテマラ・シティから到着。1泊して8月13日(火)にグアテマラのキリグア経由でフローレスに出発した。

到着

2019年8月12日(月)にグアテマラ・シティを出発。ホンジュラスへの国境審査はそれほど厳しいものではなく、バスは停車したが、降りる必要もなかった。

国境を越えてホンジュラス。山がちな風景で、視界が開けて眺めが良いところもあった。

昼食は串焼きの肉、野菜。

宿泊

CLARION

2019年8月12日(月)から8月13日(火)に1泊。

リゾートホテルっぽい雰囲気で、真ん中にプールがある。リゾートっぽい雰囲気は良いが、夜間に蚊にさされた。朝起きて部屋内を捜索し、止まっている蚊を成敗した。

コパン遺跡

グアテマラから国境を越えてホンジュラスまで来たのは、コパン遺跡があるから。中米旅行では、このコパンの他、キリグア、ティカルという世界遺産になっている3つのマヤ遺跡を見たが、最初に訪れたのがこのコパン。

第13代の王「18兎王」になった時代に大きく繁栄し、複雑な浮き彫りの石碑が作成されている。他の遺跡と比べても石碑の彫刻の精緻さは優れているという印象がある。

重要、有名な遺跡だが、空いていて他の観光客にあまり会わなかった。

Wikipediaのコパンのマヤ遺跡

ビジター・センター

遺跡の入口にはビジター・センターがあり、遺跡の模型が展示されている。コパン遺跡は専用のガイドの説明を受けながら見学した。

ビジター・センターを抜けて進んでいくと、眞子様が植樹したセイバの木があり、鮮やかなコンゴウインコが餌付けされていた。

西広場

マヤ遺跡一般にみられるように、コパンの遺跡も東西(南北)を意識して配置されている。見学者はビジター・センターを通って西側から入ることになり、まだ発掘されていない神殿であろう小山を見ながら進み、まず西広場に行き当たる。

神殿があり、両側にはマラカスのようなものを持った神。風の神か雨の神と説明されたような記憶がある。日本の風神雷神のようなものか。

神殿の前には石碑が建つ。石碑には王の姿が彫られているが、実物の人間より大きく彫られている上に、頭の上には何重もの帽子のように装飾が彫られ、足下には地下の世界が表現されている。胸の前で手の甲を合わせるような仕草になっているのは、力を誇示している姿勢だそうだ。また、当時は寄り目が美しいという不思議な美意識があった。

側面にはマヤ文字が刻まれている。マヤ文字はまるで絵文字のよう。数字で暦が刻まれていて、いつの辞典の内容かが正確にわかる。マヤ数字は二十進法となっている。ふーん、で終わってしまいそうだが、これはインドよりも先に0の概念を持っていたということになる。

石碑の前には祭壇が置かれている。ここの祭壇は祭壇Qとして有名ないもの。置かれているのは実はレプリカで、本物は敷地内の博物館に置かれている。写真は博物館のもの。祭壇の側面にコパンの初代王から16代王までがぐるりと彫られている。なので、ぐるっと回って初代王と16代王が向き合っており、まるでバトンを渡しているようになっている。これは、前述のように13代の18兎王がキリグアに殺されてしまった後、コパンは衰退してしまう。キリグアの王がコパンの王を名乗ったり混乱する中で、16代王が自らの正当性を懸命に主張していたことがうかがえる。

マヤ文明は金属がない文明だった。つまり、こうした彫刻は金属製の道具を使わずに作成されている。

西広場の南には少し低くなっていて、住宅の跡がある。

東広場

さらに奥に進むと東広場に出る。東広場の西側はジャガー。ジャガーは日没を意味している。

マヤの神殿はもともと派手な色が塗られていた。東広場の一部には、当時の色が残っている部分がある。

また、しっくりが塗り込まれていた。これも跡が残っている。

神殿文字の階段

15代の王が作った階段で、階段はマヤ文字でびっしりと埋められ、その前には王の石碑と祭壇がある。保護するためかテント屋根がかけられている。

グラン・プラサ

西広場、東広場の北にグラン・プラサがある。神殿文字の階段も、グラン・プラサの端にある。

神殿文字の階段の横にあるのが球技場で、斜面が2つ向き合ったような配置になっている。この真ん中で、バレーボールのように、しかし、身体を使ってゴムの玉を打ち合っていたらしい。斜面の両側の橋の上の方にオウムのような像があり、そこに当てると勝ちだったと考えられている。

石碑の横にはマヤ文字が刻まれている。

アクロポリスのトンネル

東広場に戻り、アクロポリスのトンネルへ。薄暗くてよくわからないのだが、トイレらしきものがあったり、トンネルの中の穴から中の神殿の一部が覗けたりする。

マヤの神殿は、いきなり大きなものが作られたのではなく、既存の神殿に被さるように次の神殿を作り、段々と巨大化していった。そのため、神殿の中に昔の神殿が入ったマトリョーシカのようになっている。

博物館

最後に入口付近まで戻り、博物館へ。トンネルのような凝った入口になっている。

博物館には出土品の本物、あるいはレプリカが展示されている。アクロポリスのトンネルの中でちらっと覗けたロサリア神殿は復元で、トンネルからは顔しか見えず、何かなんだかわからなかった神殿の全体像がわかる。

また、王権の象徴であった「むしろ」を図案化したデザインが施された建物は、王が会議を行った建物だと言われている。

出発

2019年8月13日(火)に出発して、グアテマラのキリグア経由でフローレスへ。

朝早く出発し、国境を越えてグアテマラへ。行きも出入国管理は簡単だったが、帰りは停車もせずに通り抜けてしまった。24時間に満たない、あっという間のホンジュラス滞在だった。

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