モンテネグロ

最終更新日 2016年6月26日

2016年5月に旧ユーゴスラビア旅行で訪問。

あまり日本では知られていない国ですが、内陸は山が美しく、海沿いはクロアチアと同様にエメラルドグリーンの海と城壁に囲まれた街があります。

良くも悪くも観光地化しているクロアチアより、少しのんびりしている気がします。

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国について

国の概要

国の概要
国名モンテネグロ(2007年に改称し、共和国は着かない))、Crna Gora(モンテネグロ語、ツルナ・ゴラのような発音)、Montenegro(英語)
国土バルカン半島北東にあり、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、アルバニア、そしてコソボと接する。南はアドリア海に面している。国土の大部分が山地。
人口約63万人(2012)。他の旧ユーゴスラビアの国々と比較しても大変少ない。コソボより少ない。
民族モンテネグロ人43.2%、セルビア人32%、ボシュニャク人8%、アルバニア人5%など。モンテネグロ人とセルビア人の違いはほとんどわからない。

宗教セルビア正教が74%、イスラム教が18%
首都ポドゴリツァ、ただし憲法上はツェティニェらしい。
経済状況一人当たり国内総生産14,666ドル(PPP,2013)。
時間UTC+1。日本より8時間遅れているが、サマータイムがあり、その時期には日本より7時間遅れとなる。
観光客108万人(2010)人口より多い観光客を受け入れている。

言語

公用語はモンテネグロ語。セルビア語とは方言程度の違いとされる。文字はキリル文字とラテン文字を併用するが、セルビアよりさらにラテン文字の使用が多い気がする。

セルビア語
こんにちはドーバル・ダン。チェコ語、スロヴェニア語、ブルガリア語と似ている。
ありがとうフヴァーラ。

料理

内陸部と海外部で違うようで、海岸部ではシーフードが食べられる。ワインも多いようだ。バルカン半島らしく、ラキヤという蒸留酒もある。

歴史(旧ユーゴスラビア)

第二次世界大戦中に成立したユーゴスラビア社会主義連邦共和国は、セルビア社会主義共和国、ボスニア・ヘルツェゴビナ社会主義共和国、クロアチア社会主義共和国、スロベニア社会主義共和国、モンテネグロ社会主義共和国、マケドニア社会主義共和国の6つの共和国から構成されており、「七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家」と言われていたが、90年代前半に崩壊し、それぞれ別の国となった。コソボも独立を日本を含む多くの国に承認されている。

通貨

EU加盟国になっていないが、事実上ということか、ユーロが流通している。

両替

両替レート
日付手段レート
2016年5月3日クレジットカード1EUR=124.833円
2016年5月4日クレジットカード1EUR=125.584円

ビザ

90日以内なら不要。

交通

バス

都市間の移動は鉄道よりもバスが便数、所要時間の両面から便利。値段も安い。

各都市にはバスターミナルがあるが、セルビアと同様、なぜか乗り場に行く際に改札がある。そのため、バスの出入り口もゲートが開け閉めされる仕組みで、乗り場に歩いて自由に出入りできないようにしている。どうせバスに乗るときチケットを確認するので、不要だと思うのだが。

バスの切符には座席番号も印字されるが、実際には皆自由に座っている。

通信

何とNTTドコモのパケホーダイ対象国となっていない。普通に使っているだけで、入国して24時間も経たないうちに高額の請求が来た。

関連リンク

Wikipedia

モンテネグロ

日本に対しては日露戦争の際に宣戦布告したが、戦闘は行われず、講和会議に招かれなかったため、未だに国際法上は戦争状態にある、という話がある。

ポドゴリツァ (Подгорица/Podgorica)

ポドゴリツァはモンテネグロの事実上の首都。リブニツァ川とモラチャ川が合流する交通の要衝にあり、山が多いモンテネグロの中で平野になっている。ユーゴスラビア時代はティトーグラードと呼ばれた。

首都とは言え小さな国なので、のんびりしている。

旧ユーゴスラビア旅行で2016年5月2日(月)にセルビアのベオグラードから到着し、5月3日(火)にブドヴァを経由してコトルに出発。

Wikipediaのポドゴリツァ情報

到着

2016年5月2日(月)にセルビアのベオグラードから列車で到着。

ベオグラード駅9:10発の列車に乗り込んだが、1等車と2等車があり、1等車はきれいなのに、2等車は外側が落書きだらけ。当然2等車なので乗り込むと3人がけ向かい合わせの6人個室形式。中はそれほど汚くはない。

外の景色は天気が悪いものの、緑の木々に覆われた山があり、谷があり、赤い屋根の集落があり、トンネルを通って橋を渡り、という飽きないものだが、スピードは遅く、ところどころでは朝の中央線のようにのろのろ運転になる。反対向きの列車との行き違いもあるらしく、しばしば止まる。

山間の小さな駅で制服を着た係員が乗ってきて、パスポートを提示。ちらっと見ておしまい。他の同室の乗客はクレジットカードサイズのIDカードを見せておしまい。おそらくこれがセルビアの出国手続だったらしい。

出入国のスタンプを押さないのかなと思っていると、再び動き出して、Bijelo Poljeというやや大きな駅に停車。乗降客があって訳がわからないと思うのだが、そうした中で係員が順次回ってきて今度は入国手続。パスポートを見ると手元の端末でスキャンして、今度はスタンプを押してくれた。他の乗客のIDカードもスキャンしていた。

その後も走り出した後もなぜかもう一度係員が回ってきていて、私と隣の客だけチェック。出入国はいつもよくわからないし、緊張する。

だんだん日が陰ってきたが、モンテネグロに入ってからは渓谷の山の中腹を走る絶景。トンネルを通り、橋を渡りという感じで、日本でもよくある光景だが、確かにバルカン半島屈指の景勝路線と呼ばれるのも一理ある。他の乗客も立って見ている人が多かった。ちなみに全般的に、進行方向右側の方が景色がよい。

定刻を過ぎてもポドゴリツァに着かず、遅れていているようだったし、何より山の中を走っていたが、真っ暗な中、山を超えて平野に出たと思ったらすぐに19:00ごろポドゴリツァに着いた。暗くてよくわからなかったが、同乗の人に確認して下車。

下車した途端、夕立のようなひどい雨。駅舎を出られない人がたまっていたが、傘を出して、スマートフォンで位置を確認してホテルに向かった。

宿泊

HOTEL M nikic

モンテネグロに到着した2016年5月2日(月)から5月3日(火)に1泊。

駅からも歩いて行け、町中にも歩いて行けるちょうどよいくらいの位置にある。裏には川が流れている。

大きくて明るいホテルだが人気がなく、朝食も自分一人だけだった。他に泊まっていた人がいたのかな。

夕食

ポドゴリツァに到着した2016年5月2日(月)の夜は、大雨だったので、ホテル近くのレストランでビールとシーザーサラダとムチュカリツァで夕食。昼食抜きだったものの、サラダは相当に量があり、全部食べて苦しくなった。12ユーロほど。

ポドゴリツァの観光

2016年5月3日(火)、昨晩の大雨ほどではないものの、やや小雨。ホテルをチェックアウトして、寄り道して街を歩きながらバスターミナルへ。

時計台

小さな広場にぽつんと時計台が立っている。周囲に説明書きなどはなく、所在なげな年配の男性が集まっていて、妙な雰囲気。

モラチャ川

街の真ん中をモラチャ川が流れている。魚釣りもできるらしい。要塞のようなものも見えるが、これまた何の説明もない。

共和国広場

一応街の中心のようだが、非常にのんびりしている。

出発

駅前のバスターミナルまで歩き、10:29発のバスでブドヴァへ出発。ヘルツェグ・ノヴィ行のバスのようだ。

ブドヴァ(Будва/Budva)

アドリア海沿いにあり、ヴェネチアに400年以上支配された。他のアドリア海沿いの都市と同様、城壁に囲まれた旧市街を持つ。ただ、ブドヴァの旧市街はとてもこぢんまりしている。街は比較的大きく、旧市街に外には現代的な街が広がっている。

モンテネグロ旅行で2016年5月3日(火)にポドゴリツァからコトルへ行く途中で立ち寄り。雨が降っていた・・・。

Wikipediaのブドヴァ情報

到着

2016年5月3日(火)、10:29発のバスでポドゴリツァを出発。6ユーロ。

バスは南下して平野を走り、スカダルスコ湖を通る。さらに走ると、山道に入り、絶景が続いてからアドリア海に出る。

しばらくアドリア海沿いに走るが、海に突き出した小さな島が見える。ここはスヴェティ・ステファンというジョコビッチが結婚式を挙げたところだそうだ。

さらにアドリア海を走り続けると、ブドヴァに着く。

昼食

バスを降りたときは曇りだったのに歩いているうちにぽつぽつと雨が降り出し、そのうち強い雨に。時間も時間だし、昼食にしようと思って旧市街手前の店に入ったところ、雨が弱くなった・・・。

シーフードパスタとビールを頼んだが、ちょっと味はでろんでろんで微妙だった。

旧市街

さらに歩くと海に突き出したように旧市街がある。こぢんまりとした城壁の中の旧市街で、道も狭い。中はレストランや土産物売り場が多い。

出発

バスターミナルに戻り、コトル行のバスのチケットを購入。3.5ユーロ。

バスは頻発しているが、どうやら乗ろうとしたバスが故障か何かで出発しない。チケットを交換するように指示されたが、その変更したチケットのバスも来ない。ということで、再度交換してもらい、15:15発のドブロヴニク行のバスに変更してもらった。結局1時間弱も待った。

コトル(Котор/Kotor)

コトルはモンテネグロのアドリア海沿いの、クロアチアに近い西側にあり、深い湾の一番奥にある港町。ブドヴァと同様にヴェネチアに長く支配され、城壁に囲まれた旧市街を持つ。深い湾と旧市街のコントラストは絵はがきのようで、「コトルの自然と文化歴史地域」として世界遺産となっている。1979年にモンテネグロ沿岸部で発生した大地震で被災したが、修復されている。

こぢんまりとしているが魅力的な観光地で、ドブロヴニクと一緒に回る観光客も多いようだ。

モンテネグロ旅行で2016年5月3日(火)にポドゴリツァからブドヴァを経由して到着。一泊して5月4日(水)にクロアチアのドブロヴニクへ出発した。

Wikipediaのコトル情報

到着

2016年5月3日(火)、ブドヴァからバスで到着。雨は上がっている。

降りたバスターミナルで、そのまま翌日のドブロヴニク行のバスのチケットを20ユーロで購入。

旧市街に向かって歩くと、街の後方の山に城壁が走り、救世聖女教会が見える。

旧市街の城壁にぶつかると、エメラルド色の海水を湛えた池があり(実は池の向こう側が一つの入口)、そこから城壁沿いに歩いて行くと入口があり、Tourist Informationがある。配布している地図にはなんと日本語があり、1枚もらってホテルに向かった。

宿泊

HOTEL HIPPOCAMPUS

2016年5月3日(火)から5月4日(水)に1泊。

旧市街の中にあり、とてもしゃれたホテル。最初は場所がわからず、周囲の店の前に座っているおばさんたちに聞きながら行った。レセプションに行くと自分の名前が印字されたカードを渡されてチェックインする。部屋番号は足下に。

コトルの観光

コトルの見所は旧市街。韓国人の団体客や、日本人観光客も結構多い。ドブロヴニクとセットで来ているのだろうか。大きな客船も接岸していて、そこからのツアー客も多いようだ。街のそこかしこでグループがガイドの説明を聞いている様子が見られる。

街中にはたくさん教会があり、正教のものもあればカトリックのものもある。

城壁

コトルに着いた2016年5月3日(火)は城壁に登った。

コトルの旧市街は城壁に囲まれているが、後ろの山にも城壁が続いている。ここに上ると旧市街と湾を一望することができる。

泊まったホテルにすぐ近くに登り口があって、3ユーロ支払って登っていく。途中に救世聖女教会という小さな教会(跡?)があり、そこからさらに急な道を登っていくと、モンテネグロの国旗を掲げた最上部に着く。

狭いが階段も設けられていて、1時間あまりで往復することができる。救世聖女教会のあたりでも眺めはよいが、その上の登り道あたりが一番眺望が素晴らしい感じ。

夕食

ホテル近くのでリゾットと白ワイン一本と水一本。気分よく酔っ払った。観光地価格だったけども。

聖メリ教会

一泊した5月4日(水)は、ホテルをチェックアウトして荷物を預け、市内観光。

聖メリ教会は泊まったホテルのすぐ近くにあり、1221年にできた古い教会。中は壁画があったと思われるが剥落していてあまり残っていない。東向きに祈るように出来ていて、西側には凝った作りの扉がある。

聖ニコラス教会

1909年にできた新しめの教会で、ここも正教の教会のようだ。

聖ルカ教会

1195年と古い教会。残念ながら中に入ることはできなかった。

これも正教の教会のようで、入口は西に向いて、東向きに祈るように出来ている。古いので観光客も多い。

フランシスコ会修道院サンタクララ

18世紀の教会で、ここはカトリックの教会のようだ。椅子があり、動的な彫刻は正教の教会と雰囲気が全く異なる。

海洋博物館

船の模型がたくさんあり、それ以外には航海道具や、肖像画、2つの大戦時の写真など。もう少し解説があると良いかも。オーディオガイドを無料で貸してくれるが、あまり役に立たなかった。

航海道具には船の速さを測るものがあり、ロープの先に板が結わえてある。ロープには15mごとに結び目(knot)があり、板を流して時間内に結び目がいくつ出て行くかで速さを測ったとのこと。だからknotって言うのですね。

聖トリプン大聖堂

コトルの旧市街のシンボルのようになっている1166年の教会。ただし、地震で壊れた後に改修されている。左右に年号が入っているのはそれを意味していると思われる。ここだけ有料だが、上に登って広場を見下ろすことができる。当然、観光客がとても多い。

時計塔

旧市街の正門を入ったところにあり、みんな写真を撮りまくっている。このあたりは銀行のATMやレストラン、ホテルも多い。

昼食

ちょっと早めだが、南側にあるレストランででシーフード盛り合わせとビールで昼食。コーヒーを飲んで締め。

城壁

ドブロブニク行のバスは午後で、時間が余って、天気もよいので、また城壁に登ってしまった。

昼食をとったレストランの前にも、昨日登ったものとは別の城壁の登り口がある。上に行くと昨晩と同じルートとなるが、晴れており、時間帯も真っ昼間なので人が多く、前日と違って、途中で水や絵を売っている人もいる。

景色は前日より素晴らしく、色も違ったが、食後すぐだったせいかちょっと体調が悪くなってかなりきつかった。

出発

2015年5月4日(水)、旧市街の観光を終え、城壁から降りてきてホテルで荷物を受け取って歩いてバスターミナルへ。

15:00発のバスでクロアチアのドブロヴニクへ。20ユーロ。荷物をトランクに預けるとさらに1ユーロ。

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